サヌカイトについて

サヌカイトについて
京都大学総合博物館 教授・先史考古学    山中一郎(2013年没) 京都大学総合博物館先史考古学 山中一郎教授

 サヌカイトという名は、明治の文明開化政策を援助したドイツ人学者によって命名されたもので、讃岐の石という意味をもつ命名の由来からして、近代化学の洗礼を受けた石といえよう。坂出市金山の 前田 仁氏のアトリエにある、サヌカイト製の風鈴は、聞く者の耳を楽しませてくれるが、考古学者にとってその音は現実的な響きでもある。

 はるかに時をさかのぼって、2万年前、日本列島に住んだ先史時代人は、この堅い石を割る独特の技術を考案して石器を作っていた。紀元後しばらくして、大陸から伝わった金属器にとってかわられるまでの長いあいだ、サヌカイトは槍先や、やじりに用いられた。シカやイノシシの狩猟、さらには戦いの場でも主役を果たしたのである。厳しい自然と闘いながら、生きる営みを続けた先史時代人の生活を支えたのはサヌカイトである。それゆえ、考古学者の目に映るサヌカイトは、日常生活に密着していた石なのである。

 このように、サヌカイトの響きを最も古く耳にした先史時代人には、生活の音であり、古今の人々が共有するサヌカイトから出る素朴な音は、このように現実的な意味と、それ自身、長い歴史をもっている。2万年来、幾星霜の人々が各々に、魅力にとりつかれて耳にした現実世界の音である。その音の奥に潜む芸術の響きが練り上げられて、今、世界中に響き渡ろうとしていることは喜ばしい限りである。

金山で発見された石器 金山で発見された石器   故宮博物館に残る磐(kei)  故宮博物館に残る磐(kei)


カンカン石

 木槌、金槌で叩くと、美しい金属音の響きがすることから、讃岐の人達は古くから『カンカン石』と呼び、親しんできました。古くは宝歴年代(一七六〇年頃)に音の出る珍しい石として、木村草也著「三崎誌」に、小綱代の白髪明神に鐘のように美しい音を出す石があり、四国から来た舟が、航海安全のお礼に献じたことが記されています、また安永年間に出版された、木内石亭著「雲根志」にも、美しい音を出す讃岐の石、として紹介されるなど、近世の歴史書にも多くの記載例があります。


人と石と音楽

 紀元前五世紀、孔子は『礼は天地陰陽の秩序を整え、楽は調和をはかるものである』と云い、武王の音楽は、美をつくしながら、善を尽くしていないと評し、顔子に『鄭声は淫・佞人は殆し』と教えています。同じ頃、古代ギリシャで、プラトンは宗教的な儀式に『器楽だけの音楽は許すべきでない、言葉のない楽器は、意味のない動物の声と変らない』等といい、二千数百年前の偉大な哲学者達は、それぞれに独特の音楽理論をもっていたことがうかがえます。

復元された磐(kei)1 復元された磐(kei)2 復元された磐(kei)

 音から発した音楽は人間の心を表現するものとして、数百萬年にも及ぶ人類の進化や、人間の文化と共に発展してきました。黄河文明が開きはじめた五千年前の三皇五帝時代(伏義・神農・黄帝時代の伶倫など)に登場する神々や皇帝と、音楽とのかかわりは、物語として数多く残されています。

 『凡そ音は人心より生ずる者なり。情、中に動くが故に声に形る。声文を成す、之を音と謂う。是の故に治世の音は安くして以て楽めるは、其の政和げばなり。乱世の音は怨みて以て怒れるは、其の政背けばなり。亡国の音は哀しみて以て思うは、其の民困しめばなり。声音の道は政と通ず。』と「古代賢王の道」が四書五経、礼楽に説かれているのも東洋文化の特長の一つであります。

 石の楽器・磬は、三千五百年前の古代中国殷代に・礼楽のために、鐃・つちぶえ・鼓などと共に、八音を構成する楽器として用いられ、磬には、特磬、編磬、頌磬、笙磬、玉磬などの別があり、玉磬は天子の楽器(日・礼記郊特牲)に使われたなどの、記述もあり殷代の磬は、かまぼこ型、台形(底辺が直線に近い)の形状から、周代(BC1050~220年)に至って、『按磬之形如・人・字形』となり五辺の各々の寸法が規定されて、形が定められています。編磬は十二個(律)を一列につるしたもの、十二律と四清律を加え、上下二段に配したものに発展し
雅楽に使われたと思われる特磬は、第一律の黄鐘・大型板、一個だけをつるしたもので、論語『子撃磬於衛』は、孔子が特磬を鳴らした風景からとったものかもしれません。

 こうして古代中国で発展した石の楽器は、"周代楽器之最珍貴者"として周礼、礼記などに見ることができ、礼記・楽器篇・第十九には、『石声は磬なり、磬以て辨を立て、辨以って死を致す。君子磬声をき聴けば、則ち封彊に死せる臣を思う。』とあります。

 このように、石の響きが人の心にあたえる特性が示されるなど、磬によせた古代の人達の思いがしのばれます。殷代から奏楽の器として重用された磬も、やがて青銅楽器の発展と共に衰えはじめ、唐代に至って姿を消すことになります。木柄に掲げた鐃から、磬のようにつり下げた鐘が西周中期(BC900年~800年)に出現し『鳧鐘』(鉦に三十六個の突起物をもつ鳧氏のつくった鐘)周礼にある『鳧氏鐘を為る』の時代をむかえて、石の楽器は殷代から唐代に及ぶ二千二百年余りの歴史をとじることになりました。おそらく、美しい音色をもつ原石が採れなくなったのか、鳧鐘の華麗さに負けたのか、唐代・天宝年代に至って、磬の歴史が終わっています。

石器時代想像図 石器時代想像図  石器分布図 石器分布図

        サヌカイト原石 サヌカイト原石 

 




サヌカイト-地質学的特徴

神戸大学教授  佐藤博明

 サヌカイトは、今から1300万年前の瀬戸内地域の火山活動で噴出した、特異な火山岩です。それは大阪二上山、松山皿ガ嶺、大分祖母山にも産しますが、もっとも多く産出するのは讃岐地方です。この地域では、サヌカイト質の溶岩や凝灰角礫岩がメサと呼ばれる卓状溶岩台地(屋島や五色台など)や、ビュートと呼ばれる円錘形の残丘(飯野山など)や侵食された丘(大麻山など)の上部を横成して下位の白亜紀(約8000万年前)の花崗岩の上に載っています。噴火当時は溶岩流は谷や低地を埋めて流れ冷え固まったと思われますが、溶岩は花崗岩と比ペると風化侵食に強いため、その後の地盤の隆起にともなう風化侵食で周囲の高いところを作っていた花崗岩が選択的に侵食きれ、溶岩が台地や尾根などの高いところを構成するようになったと考えられます。

 サヌカイトは見かけ上は黒色緻密なガラス質で、斑晶(肉眼で見分けられる粗粒の結晶)に乏しく、叩けばよく響き、かんかん石として知られてきました。 I891年、ヴァインシェンクによって最初に観察・記載・命名されたように、顕微鏡下で見ると極めて細粒緻密で、ガラス、斜方輝石、磁鉄鉱、斜長石などから構成されています。岩石分類上は安山岩またはデイサイト(珪酸分のやや多い火山岩)に属します。斑晶として稀に、マグネシウムに富むかんらん石、斜方輝石が含まれるのが通常の火山岩に見られない特徴です。これらの斑晶は初生安山岩質マグマ(深さ30-50kmのマントルで生じた未分化な安山岩マグマ)から結晶したもので、安山岩成因論の1つである初生安山岩質マグマの存在を裏づける貴重な存在となっています。





平成 22 年度 岡山市埋蔵文化財センター講座第2回 より抜粋
石器 -サヌカイトのはなし-
            
                                        西田 和浩
【講座の概要】

1. なぜサヌカイトを利用するのか?

 旧石器時代から弥生時代の終わり頃まで、大昔の人たちは石器を生活に必要な道具として利用してきた。石器の種類は、石槍や石鏃など、石を打ち欠いて作る打製石器と、石斧のように砥石で磨いて作る磨製石器の二種類に大きく分けられる。
打製石器には、ガラスのように鋭く割れる石(黒こくようせき曜石や安あんざんがん山岩など)が利用された。日本列島には、黒曜石や安山岩を採取できる場所がいくつかある。その中でも、香川県で採取できるサヌカイト(安山岩の一種)は、埋蔵量が多く、瀬戸内海側の中国・四国・近畿地方の人たちにとって重要な資源だった。

2. どんな石器に使ったのか?           
 旧石器時代の人々の生活は、食料を求めて移動を繰り返す生活で成り立っていた。鋭利な石器を作ることができるサヌカイトは、動物を捕るための石槍や、肉を切り分けるための刃物(ナイフ形石器と呼ぶ)の材料として重宝された。
 縄文時代になると、小型の動物が増え、弓矢の使用が始まる。サヌカイトは石鏃の材料として利用される。また、石錐や刃物の材料にも利用された。
 弥生時代では、狩猟用の矢尻として利用されるほか、石包丁(稲穂を摘み取る道具)などに利用される。また、この頃になると増えた人口を養うために各地で土地や食料をめぐってムラ同士の争いが行われた。そのため石器は武器としても利用されるようになった。

3. どうやって運んだのか?
 旧石器時代は氷河期だったので、海水面が現在より 100 mほど低かったと推定されている。このため瀬戸内海は陸地になっていた。旧石器人たちは産地まで歩いてサヌカイトを取りにいくことができた。縄文時代になると温暖化が進み、海水面が上昇した。このため縄文人たちは、舟を利用してサヌカイトを運んでいたと考えられる。舟の利用はサヌカイトの流通を活発にした。香川産のサヌカイトは、瀬戸内海を中心として東は大阪、西は大分にまで分布している。

4. 発掘調査でみつかったサヌカイトの貯蔵跡
 岡山市の津島岡大遺跡では、縄文時代後期の集落跡(4500 年~ 3300 年前)からサヌカイトを集めて保管した痕跡がみつかっている。縄文人たちが運んできたサヌカイトをどのように保管していたのか、その様子がうかがえる。割った石同士は、接合しないことから、この集落の中で割ったのではなく、運びやすいように原産地の近くで割ったと推測される。同じようなサヌカイトの貯蔵跡が瀬戸内沿岸で確認されており、サヌカイトの流通方法がわかりつつある。

【参考文献】
竹広文明 2003『サヌカイトと先史社会』渓水社
旧石器文化談話会編 2000『旧石器考古学辞典』学生社