stone instruments 石の音

about sanukite


サヌカイトについて

シリーズ サヌカイト1997朽津信明(東京大学理学部地質学教室 当時)



香川県産岩石の基本特性からみたサヌカイトの特徴

香川大学工学部 教授 長谷川修一 香川大学工学部 長谷川修一教授 

1. はじめに

 サヌカイトは、黒色緻密であり金槌で叩けば金属音を発し、古くは鐘用に供せられ、『かんかん石』と俗称されている。サヌカイトは香川県の国分寺町の国府台、坂出市の金山、城山などに産する。正規の讃岐岩は、斜長石の班晶に乏しく斜方輝石、特に古銅輝石の小針状結晶に富み、ガラス質石基を有することを特徴としている(斉藤・板東・馬場、1962)。

 サヌカイトの物理的性質を把握し、他の岩石と比較して澄み切った金属音のでる要因を解明するため、香川県における代表的な岩石の密度試験、超音波速度試験および転載荷試験を実施した。試験対象岩石は、黒雲母花崗岩(庵治石の細目と中目:庵治町産)、サヌカイト(坂出市金山産)、角閃石安山岩(鷲の山石:国分寺町鷲の山産)、凝灰質礫岩(豊島石:土庄町豊島産)および流紋岩質凝灰岩(高松クレーターの石:香川町船岡山産)である。

 試験の結果、サヌカイトP波速度は乾燥の状態で約6030m/sで、庵治石細目の約4760m/sより約2割大きい。また、サヌカイトの吸水率は0.04%で、庵治石細目の0.33%より一桁小さい。サヌカイトは、最上級の石材である庵治石細目と比較しても、極めて緻密である。サヌカイトから美しい金属音がでるのは、このようなきわだった物性を持つためと考えられるので、その概要について報告する。

金山地質断面図

2.研究方法

2.1 岩石試料

 本実験に用いた岩石試料は、牟礼郡庵治町の庵治石(黒雲母花崗岩)[(有)高橋石材提供]の細目と中目、国分寺町鷲の山の山石(角閃石安山岩)[(株)興仁提供]、坂出市金山のサヌカイト(古銅輝石)[(株)興仁提供]、土庄町豊島の豊島石(玄武岩質凝灰岩)[(有)美山石材提供]、高松クレーターの石(流紋岩質凝灰岩)[マツノイパレス提供]を使用した(表‐1)。なお、庵治石は黒雲母花崗岩、サヌカイトは古銅輝石安山岩、鷲の山は、角閃石安山岩、豊島石は凝灰質礫岩、高松クレーターの石は流紋岩質凝灰岩である。また、庵治石は白亜紀後期の領家花崗岩に、また、そのほかの岩石は中期中新世の瀬戸内火山岩に属する。
実験に使用した岩石試料

                  
2.2 岩石試験の方法  岩石試験は図‐1のフローに従って行った。

 (1)   供試体の作成  供試体は直径約5cm、長さ約5cmの円柱状に整形し、各10試料(高松クレーター内凝灰岩は8試料)を作成した。なお、強制乾燥状態は105℃で3日間乾燥させた状態、強制湿潤状態は水中で72時間以上浸水させた状態をさす。

(2)   密度試験 密度試験はノギス法(キャパリー法)によって、円柱に整形した試料の寸法から体積を算出して、乾燥密度と湿潤(飽和)密度を求めた。また、吸水率は乾燥密度・湿潤密度から求めた。

(3)   超音波速度試験  供試体のP波速度とS波速度は、応用地質(株)ソニックビュアー-SXを使用し、乾燥状態と湿潤状態について求めた。

(4)   転載荷試験  転載荷試験は、応用地質(株)の転載荷試験器を使用して、求めた。

(5)   X線回折・偏光顕微鏡観察  岩石の鉱物組成、岩石名の確認のため、X線回折・偏光顕微鏡観察を行った。X線回折は、香川大学工学部の島津X線回折装置XRD-6100を使用した。

 

3.試験結果  本試験に基づく香川県産の岩石の工学的性質は以下の違いがある。

(1)庵治石(黒雲母花崗岩) 中目も細目も硬質であるが、中目に比べてより高価な細目の強度が大きく、吸水率もやや小さい。

(2)サヌカイト(古銅輝石安山岩)  最も緻密な岩石で、P波速度が最大、吸水率は最小である。

(3)鷲の山石(角閃石安山岩)  中硬質岩で、凝灰岩と花崗岩の中間的性質である。凝灰岩と比較して吸水率は小さいものの、乾燥状態のP波速度はほぼ同じ。

(4)豊島石(玄武岩質安山岩)  軟岩に近い性質で、かさ密度・S波速度・P波速度・点載荷強度が小さく、吸水率が大きい。

(5)高松クレーターの石(流紋岩質凝灰岩)  軟岩に近い性質で、かさ密度・S波速度・P波速度・点載荷強度が小さく、吸水率が大きい。

香川県産岩石の基本物性(平均値)
               

4.サヌカイトの特性

 サヌカイトP波速度は乾燥状態で約6030m/sで、庵治石細目の約4760m/sより約2割大きい。一般に岩石が硬質になり、P波速度が大きいと高周波の金属音となる。サヌカイトのP波速度は乾燥状態で約6030m/sと、代表的な硬質岩の庵治石と比較して約2割大きく、このため動弾性係数が著しく大きいことがサヌカイトの打撃音が金属音を奏でる原因と考えられる。

 また、サヌカイトの吸水率は0.04%で、庵治石細目の0.33%より一桁小さい。サヌカイトは、最上級の石材である庵治石細目と比較しても、極めて緻密である。サヌカイトの乾燥密度は2.60g/?で、庵治石細目の2.63g/?と比較して、わずかに小さい。理論的には、密度が大きいとPは速度が大きくなるが、密度のやや利委細サヌカイトが、庵治石と比較して大きなP波速度を持つのは、吸水率が示すように空隙の極めて少ない緻密な岩石特性が、サヌカイトから余韻のある金属音がでる秘密と考えられる。

 


番外 サヌカイトの命名とヴァインシェンク資料

史蹟名勝天然記念物調査報告 香川県史跡名勝天然記念物調査会/編 香川県1929.3

「第九 サヌキット(SANUKIT)(讃岐岩)磐石 カンカン石」

「・・・学問上の名は、サヌキット、此のサヌキットなる名は、世界に於ける岩石学の権威ワインセンク氏(独逸人)が、この岩石につき精細なる研究を施したる結果、地球上、また他に発見せざる岩石なることが分かつたので、氏は其の産地、讃岐の国名に因みて、サヌキット(讃岐岩)」と命名して、学会に発表したのである。ワインセンク氏の発表は明治20年頃である。この岩石のワインセンク氏の手に入った経路は不明であるが、明治8年、帝国大学地質学教師として、ナウマン氏(独逸人)が来任した。明治12年、日本政府は氏の建議を入れ、時の農商務省に、地質調査所を設立した。氏は其の調査所に移つて、日本の地質の調査に従事したのである。故にカンカン石のワインセンク氏の手に入つたのは、ナウマン氏が送つたのでは無いかと思はれるのである。然しナウマン氏は、明治17年日本を去つて、ワインセンク氏の発表はこれから3年の後である故、日本人が送つたのではないかとも云われている。・・・」


讃岐の岩石と地層 瀬尾完太/編 香川県教育会 1939.11

綾歌郡の項「カンカン石 サヌキット(讃岐岩)」

「明治20年頃独乙のワインセンク博士は、このカンカン石を研究して、地球上何れの地にも未だ発見しない珍らしい岩石なることがわかり、産地讃岐の国名に因みて、サヌキット(讃岐岩)」と命名して学会に発表した。爾来、学会では、此岩石を、サヌキット、又は、サヌカイト、と呼ぶことになつた。サヌキットは独語で、英語ではサヌカイトと読むのである。ワインセンク博士は日本の地を踏んだことはないが、カンカン石が、研究の材料になつた其経路を調べてみると、当時の帝国大学地質学教師ナウマン氏の手によつたのであらうと思はれるのである。ナウマン氏は、又独乙の人で、明治8年来任、後、地質調査所に移り、日本の地質学界を開拓して明治17年10年間の長い任期を終へて帰国した人である。」




サヌカイトについて
京都大学総合博物館 教授・先史考古学    山中一郎(2013年没) 京都大学総合博物館先史考古学 山中一郎教授

 サヌカイトという名は、明治の文明開化政策を援助したドイツ人学者によって命名されたもので、讃岐の石という意味をもつ命名の由来からして、近代化学の洗礼を受けた石といえよう。坂出市金山の 前田 仁氏のアトリエにある、サヌカイト製の風鈴は、聞く者の耳を楽しませてくれるが、考古学者にとってその音は現実的な響きでもある。

 はるかに時をさかのぼって、2万年前、日本列島に住んだ先史時代人は、この堅い石を割る独特の技術を考案して石器を作っていた。紀元後しばらくして、大陸から伝わった金属器にとってかわられるまでの長いあいだ、サヌカイトは槍先や、やじりに用いられた。シカやイノシシの狩猟、さらには戦いの場でも主役を果たしたのである。厳しい自然と闘いながら、生きる営みを続けた先史時代人の生活を支えたのはサヌカイトである。それゆえ、考古学者の目に映るサヌカイトは、日常生活に密着していた石なのである。

 このように、サヌカイトの響きを最も古く耳にした先史時代人には、生活の音であり、古今の人々が共有するサヌカイトから出る素朴な音は、このように現実的な意味と、それ自身、長い歴史をもっている。2万年来、幾星霜の人々が各々に、魅力にとりつかれて耳にした現実世界の音である。その音の奥に潜む芸術の響きが練り上げられて、今、世界中に響き渡ろうとしていることは喜ばしい限りである。

金山で発見された石器 金山で発見された石器   故宮博物館に残る磐(kei)  故宮博物館に残る磐(kei)


カンカン石

 木槌、金槌で叩くと、美しい金属音の響きがすることから、讃岐の人達は古くから『カンカン石』と呼び、親しんできました。古くは宝歴年代(一七六〇年頃)に音の出る珍しい石として、木村草也著「三崎誌」に、小綱代の白髪明神に鐘のように美しい音を出す石があり、四国から来た舟が、航海安全のお礼に献じたことが記されています、また安永年間に出版された、木内石亭著「雲根志」にも、美しい音を出す讃岐の石、として紹介されるなど、近世の歴史書にも多くの記載例があります。


人と石と音楽

 紀元前五世紀、孔子は『礼は天地陰陽の秩序を整え、楽は調和をはかるものである』と云い、武王の音楽は、美をつくしながら、善を尽くしていないと評し、顔子に『鄭声は淫・佞人は殆し』と教えています。同じ頃、古代ギリシャで、プラトンは宗教的な儀式に『器楽だけの音楽は許すべきでない、言葉のない楽器は、意味のない動物の声と変らない』等といい、二千数百年前の偉大な哲学者達は、それぞれに独特の音楽理論をもっていたことがうかがえます。

復元された磐(kei)1 復元された磐(kei)2 復元された磐(kei)

 音から発した音楽は人間の心を表現するものとして、数百萬年にも及ぶ人類の進化や、人間の文化と共に発展してきました。黄河文明が開きはじめた五千年前の三皇五帝時代(伏義・神農・黄帝時代の伶倫など)に登場する神々や皇帝と、音楽とのかかわりは、物語として数多く残されています。

 『凡そ音は人心より生ずる者なり。情、中に動くが故に声に形る。声文を成す、之を音と謂う。是の故に治世の音は安くして以て楽めるは、其の政和げばなり。乱世の音は怨みて以て怒れるは、其の政背けばなり。亡国の音は哀しみて以て思うは、其の民困しめばなり。声音の道は政と通ず。』と「古代賢王の道」が四書五経、礼楽に説かれているのも東洋文化の特長の一つであります。

 石の楽器・磬は、三千五百年前の古代中国殷代に・礼楽のために、鐃・つちぶえ・鼓などと共に、八音を構成する楽器として用いられ、磬には、特磬、編磬、頌磬、笙磬、玉磬などの別があり、玉磬は天子の楽器(日・礼記郊特牲)に使われたなどの、記述もあり殷代の磬は、かまぼこ型、台形(底辺が直線に近い)の形状から、周代(BC1050~220年)に至って、『按磬之形如・人・字形』となり五辺の各々の寸法が規定されて、形が定められています。編磬は十二個(律)を一列につるしたもの、十二律と四清律を加え、上下二段に配したものに発展し
雅楽に使われたと思われる特磬は、第一律の黄鐘・大型板、一個だけをつるしたもので、論語『子撃磬於衛』は、孔子が特磬を鳴らした風景からとったものかもしれません。

 こうして古代中国で発展した石の楽器は、"周代楽器之最珍貴者"として周礼、礼記などに見ることができ、礼記・楽器篇・第十九には、『石声は磬なり、磬以て辨を立て、辨以って死を致す。君子磬声をき聴けば、則ち封彊に死せる臣を思う。』とあります。

 このように、石の響きが人の心にあたえる特性が示されるなど、磬によせた古代の人達の思いがしのばれます。殷代から奏楽の器として重用された磬も、やがて青銅楽器の発展と共に衰えはじめ、唐代に至って姿を消すことになります。木柄に掲げた鐃から、磬のようにつり下げた鐘が西周中期(BC900年~800年)に出現し『鳧鐘』(鉦に三十六個の突起物をもつ鳧氏のつくった鐘)周礼にある『鳧氏鐘を為る』の時代をむかえて、石の楽器は殷代から唐代に及ぶ二千二百年余りの歴史をとじることになりました。おそらく、美しい音色をもつ原石が採れなくなったのか、鳧鐘の華麗さに負けたのか、唐代・天宝年代に至って、磬の歴史が終わっています。

石器時代想像図 石器時代想像図  石器分布図 石器分布図

        サヌカイト原石 サヌカイト原石 

 




サヌカイト-地質学的特徴

神戸大学教授  佐藤博明

 サヌカイトは、今から1300万年前の瀬戸内地域の火山活動で噴出した、特異な火山岩です。それは大阪二上山、松山皿ガ嶺、大分祖母山にも産しますが、もっとも多く産出するのは讃岐地方です。この地域では、サヌカイト質の溶岩や凝灰角礫岩がメサと呼ばれる卓状溶岩台地(屋島や五色台など)や、ビュートと呼ばれる円錘形の残丘(飯野山など)や侵食された丘(大麻山など)の上部を横成して下位の白亜紀(約8000万年前)の花崗岩の上に載っています。噴火当時は溶岩流は谷や低地を埋めて流れ冷え固まったと思われますが、溶岩は花崗岩と比ペると風化侵食に強いため、その後の地盤の隆起にともなう風化侵食で周囲の高いところを作っていた花崗岩が選択的に侵食きれ、溶岩が台地や尾根などの高いところを構成するようになったと考えられます。

 サヌカイトは見かけ上は黒色緻密なガラス質で、斑晶(肉眼で見分けられる粗粒の結晶)に乏しく、叩けばよく響き、かんかん石として知られてきました。 I891年、ヴァインシェンクによって最初に観察・記載・命名されたように、顕微鏡下で見ると極めて細粒緻密で、ガラス、斜方輝石、磁鉄鉱、斜長石などから構成されています。岩石分類上は安山岩またはデイサイト(珪酸分のやや多い火山岩)に属します。斑晶として稀に、マグネシウムに富むかんらん石、斜方輝石が含まれるのが通常の火山岩に見られない特徴です。これらの斑晶は初生安山岩質マグマ(深さ30-50kmのマントルで生じた未分化な安山岩マグマ)から結晶したもので、安山岩成因論の1つである初生安山岩質マグマの存在を裏づける貴重な存在となっています。





平成 22 年度 岡山市埋蔵文化財センター講座第2回 より抜粋
石器 -サヌカイトのはなし-
            
                                        西田 和浩
【講座の概要】

1. なぜサヌカイトを利用するのか?

 旧石器時代から弥生時代の終わり頃まで、大昔の人たちは石器を生活に必要な道具として利用してきた。石器の種類は、石槍や石鏃など、石を打ち欠いて作る打製石器と、石斧のように砥石で磨いて作る磨製石器の二種類に大きく分けられる。
打製石器には、ガラスのように鋭く割れる石(黒こくようせき曜石や安あんざんがん山岩など)が利用された。日本列島には、黒曜石や安山岩を採取できる場所がいくつかある。その中でも、香川県で採取できるサヌカイト(安山岩の一種)は、埋蔵量が多く、瀬戸内海側の中国・四国・近畿地方の人たちにとって重要な資源だった。

2. どんな石器に使ったのか?           
 旧石器時代の人々の生活は、食料を求めて移動を繰り返す生活で成り立っていた。鋭利な石器を作ることができるサヌカイトは、動物を捕るための石槍や、肉を切り分けるための刃物(ナイフ形石器と呼ぶ)の材料として重宝された。
 縄文時代になると、小型の動物が増え、弓矢の使用が始まる。サヌカイトは石鏃の材料として利用される。また、石錐や刃物の材料にも利用された。
 弥生時代では、狩猟用の矢尻として利用されるほか、石包丁(稲穂を摘み取る道具)などに利用される。また、この頃になると増えた人口を養うために各地で土地や食料をめぐってムラ同士の争いが行われた。そのため石器は武器としても利用されるようになった。

3. どうやって運んだのか?
 旧石器時代は氷河期だったので、海水面が現在より 100 mほど低かったと推定されている。このため瀬戸内海は陸地になっていた。旧石器人たちは産地まで歩いてサヌカイトを取りにいくことができた。縄文時代になると温暖化が進み、海水面が上昇した。このため縄文人たちは、舟を利用してサヌカイトを運んでいたと考えられる。舟の利用はサヌカイトの流通を活発にした。香川産のサヌカイトは、瀬戸内海を中心として東は大阪、西は大分にまで分布している。

4. 発掘調査でみつかったサヌカイトの貯蔵跡
 岡山市の津島岡大遺跡では、縄文時代後期の集落跡(4500 年~ 3300 年前)からサヌカイトを集めて保管した痕跡がみつかっている。縄文人たちが運んできたサヌカイトをどのように保管していたのか、その様子がうかがえる。割った石同士は、接合しないことから、この集落の中で割ったのではなく、運びやすいように原産地の近くで割ったと推測される。同じようなサヌカイトの貯蔵跡が瀬戸内沿岸で確認されており、サヌカイトの流通方法がわかりつつある。

【参考文献】
竹広文明 2003『サヌカイトと先史社会』渓水社
旧石器文化談話会編 2000『旧石器考古学辞典』学生社