stone instruments 石の音

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21世紀へ残したい香川 カンカン石 石器が心癒す楽器に

四国新聞社 2006年

 ステージを照らす淡い光の中、カンカン石の澄んだ音色が立ち上がる。世界的な打楽器奏者ツトム・ヤマシタ氏が坂出生まれのサヌカイト楽器を演奏するコンサート。重厚感あふれる低音域から一点の曇りもない高音域まで、さまざまな表情を見せる。その神秘的な音色は、約二時間にわたって満場の聴衆を魅了し続けた。

 「心を洗う古代の音色」「夜空の星が瞬く音」「天使が祈りをささげる音」...。カンカン石が紡ぎ出す音の表現は、人それぞれ。楽器として誕生以来、その音は世界の名だたるミュージシャンをはじめ、多くの人たちをとりこにしている。

 県民には「カンカン石」、国際的には学名の「サヌカイト」の名称で広く知られているこの石。ドイツ人地質学者のバインシェンクが、同じくナウマンから音の出る石としてカンカン石を提供されたのをきっかけに、香川で調査・研究を進め、一八九一年に学会で「サヌカイト(讃岐岩)」として紹介したのがその始まりとなっている。

 カンカン石のルーツは、約千三百万年前、瀬戸内海に沿った地域で起こった火山活動にさかのぼる。

 五色台や屋島、飯野山など各地で大爆発があり、真っ赤な溶岩が地表の軟らかい所を破って流出。地表で急に冷え固まった溶岩は小さい粒(結晶)の岩石となり、ゆっくり固まったものは大きな粒の岩石となった。

 カンカン石は急に冷やされてできた岩石の部類に属し、県内では主に坂出市金山、城山、五色台などで産出する。紀伊半島から九州北部にかけても見られるが、音のいい石は金山、城山、国分寺町国分台からしか採取できないそうだ。

 硬くて縦に鋭く割れる性質を持っており、旧石器時代には古代人がその特性をうまく生かして、ナイフや斧(おの)など石器として利用していた。

 カーン、カーンという金属音を出すのは、鉱物の大きさがそろっているから。たたくと音が石の中で反射して強め合い、心地よい余韻を残して響く。

 楽器として加工されるようになったのは、一九七九年のこと。京大の学術調査が中四国一帯の旧石器のルーツを金山と特定したのをきっかけに、金山の持ち主で会社役員の前田仁さん(71)がカンカン石に興味を持ち、サヌカイト楽器を考案した。

 工学、音響専門家らと製作した石琴や磬(けい)などの楽器は、音楽大学などで活用されているほか、国内外の演奏会でも採用。ジャズ界の大御所ライオネル・ハンプトン氏やジャズ歌手のディー・ダニエルさんらそうそうたる音楽家も、コンサートでサヌカイト楽器を起用している。

 ツトム・ヤマシタ氏も、その音色にほれ込んだ一人だ。

 ヤマシタ氏は「たとえ一千万年たっても、サヌカイトの優しい響きは変わらない。まさに音の世界遺産ですね」と絶賛。「演奏しながら自分もサヌカイトの音色に癒(いや)されています」。

 サヌカイトの振動特性は、低音域から高音域にかけて広い周波数を持つ。「人の耳に聞こえない高い周波数が、癒しにつながっているのではないでしょうか」(前田さん)。

 サヌカイト楽器の音のメカニズムには、まだ解明されていない分野が多数あり、筑波大や電気通信大などが研究を進め、国内外の学会で発表している。

 かつては、生活に欠かせない道具として人々に親しまれていたカンカン石。今後は世界を舞台に、安らぎ、癒しをもたらす楽器としてさらなる飛躍を見せてくれそうだ。

文・末沢 鮎美(生活文化部)

 

日本経済新聞 文化欄 11月10日掲載記事(2004)

石の楽器、世界に癒し

香川のサヌカイトで製作、世界遺産に永久保存

 香川県はカンカン石と呼ばれるサヌカイト(讃岐の石)の産地として知られている。たたけば澄んだいい音がし、土産物などにして売られてきた。音楽とは無縁だった建設業の私が、この音色に魅せられ、楽器製作に後半生を費やすなど夢にも思わなかった。
 その石の楽器が最近、ユネスコの後押しでインドネシアの世界文化遺産「ボロブドゥル寺院遺跡群」に常設保存される話が決まった。これを機会に石と格闘した四半世紀を振り返ってみたい。

 奥深い音色の虜に

 きっかけは京大の埋蔵文化財調査。一九七八年秋、坂出市の自宅裏山が旧石器時代の矢じりや斧など石器の原産地とわかった。それまで自分の山とはいえ、余り関心がなかったが、古代のロマンには胸踊るものがあり、山に登りトンカチするうちに、心に響く奥深い音色の虜になった。
 サヌカイトはナウマン象の命名者で東大地質学教室の基礎を築いたE・ナウマン博士(ドイツ)が明治初期に四国旅行をした際発見採取した「珍しい安山石(千三百五十万年前の火山溶岩)」として知られていた。
 そのおかげか、地質、考古学、音響、電子、材料、それに音楽、彫刻、仏教、医学者らも含め、実に多彩な分野の専門家が関心を示し、創作上の疑問に応えてくれた。
 特性はガラス質で水晶より硬く、千年に数マイメークロトルしか風化しない。石屋さんには簡単になれないが、イサム・ノグチら数多くの芸術家が愛した石材の大産地。最初は地元の彫刻家から加工の手ほどきを受けた。
 教材などないと思っていたら、古代中国に幻の楽器、馨があった。ブーメランのような形の石板を何本もつり下げた楽器だ。「君子馨声を聞けば封疆に死せる臣を思う」と儒家の経典「礼記」にも記されている。殷代から伝わる馨は楽器の始祖といわれるが、唐代(七五〇年ごろ)には青銅製に押され消滅の運命をたどる。法隆寺などに伝わる馨のほとんどは仏事用の青銅板で、音づくりはこの馨板から入った。

 「音楽は数学」で開眼

 「前田さん、音楽は数学ですよ。音階(周波数)は素材の厚さと長さの比で決まる」。超音波工学の権威、田中哲郎・京大名誉教授から助言され、目からうろこが落ちた。このころから子供たちに童謡を聞かせる楽器をと、周波数を測る機械が右腕となり、倍音や残響効果の究明を始めた。
 その結果、石の楽器はものすごく音域が広く、様々な高周波成分を含むことも分かった。人間の耳に聞こえる周波数は高音を発したときの二万ヘルツが限界だか、滝の音やイルカの鳴き声は十万ヘルツの成分を含み人間の精神を安定させる。石の楽器はピアノより高い音が出せ、百万ヘルツさえ可能なので、癒し効果が堪能できる。
 三年後に木琴を模した楽器第一号の石琴が完成した。次いでピアノの音階(八十八音)に対応するタイプをと、円筒状の釣り鐘を並べたデザインの琮という独創楽器に挑戦した。筒の内側をくりぬいて音を出そうと何度も試みたが、失敗の連続。心棒を残す形で快音を響かせるまでに数年かかった。

 ヤマシタ氏と二人三脚

 それでも音階は未完成。思い悩んでいた時に打楽器の鬼才、ツトム・ヤマシタ氏と巡り合った。石の響きを「宇宙からのメッセージ」と評したヤマシタ氏と意気投合し、二人三脚で音楽性の高い楽器製作に取り組むことになる。
 そのヤマシタ氏が英国エジンバラ芸術祭で初めて石の楽器の演奏を披露して十七年。試行錯誤の連続だったが、ヤマシタ氏の音楽感性に磨かれ、ピアノの八十八音より上下一オクターブ以上も音域が広い楽器として今日完成をみた。そのうえに不規則音を奏でる原石形状の琅を創作し、琮、琅、石琴の三部構成による演奏形態を作り上げた。世界でも初めての試みだ。
 国内外で数多くのコンサートをこなし、東大寺など寺院を舞台にしたサヌカイト音楽による「供音式」も定着した。今秋開かれた京都二条城国際音楽祭で芸術監督を務めたヤマシタ氏は自ら演奏し、戦渦のアジアから招いた子供たちに感銘を与えた。平和の音楽を奏でる楽器としてボロブドゥルに永久保存されることはうれしいが、子供たちの心に残る音楽を提供できる喜びは何ものにも代えがたい。

前田 仁(まえだ・ひとし=豊和開発会長)





1990年10月6日付 四国新聞

石の楽器の旅 サヌカイト台湾へ (上)

-崇聖睦隣- 讃岐の音で親善 漢字の国同士、垣根感じず

台北

 大阪空港から空路三時間余り、時差一時間、一衣帯水の隣国、台北国際機場に降り立つ。前田さんと台湾との関わりは四年前。台湾からの留学生として東大で学び、現在、日大助教授の藩 英仁さんらサヌカイト楽器に魅せられた人たちの和の広がりの中、国家戯劇院・音楽庁の落成記念にサヌカイトを寄贈。その後、孔子第七七世孔徳成氏との知己をえて、孔子廟で磬を必要としていたことからサヌカイト製を寄贈することを思い立った。

 磬はつり下げて使う打楽器で孔子の誕生日を祝う祭りには鐘鼓などとともに欠かせない八大楽器の一つ。紀元前十世紀の周代に「磬は人の字のごとし」との記述があるように「へ」の字形が正形、中国文化大学芸術院や国家戯劇院、故宮博物院の意見を参考に一年がかりで製作した。

 孔子祭りの前日、孔子廟で磬を確認。中国古代様式の架台に「日本国香川坂出」の金文字。「日本人の心の原点にも儒教思想があります。かつて蒋介石総統も"威徳報恩"の言葉を引用、日本への賠償を放棄した。日本人の一人として儒教の国の習俗の道具作りに寄与できて光栄」と前田さん。祭り当日午前五時、払いぎょうと共に「五歩一休止」「三鞠躬の礼」など二千年余の伝統にのっとった儀式が延々と続く。黄州台北市長を始め参列者は、長袍馬掛の盛装。前田さんも羽織袴姿で威儀を正す。犠牲の牛、豚、山羊の毛と血を埋めたり、供え物の絹を焼いたりする間に、「咸和の曲」「寧和の曲」「安和の曲」「景和の曲」などが次々演奏され、そのつどサヌカイトも玄妙な音を奏で続けた。

 式典後、外国の賓客が紹介され、前田さんに、「崇聖睦隣」の四文字を記した額が贈られた。漢字の国同士だけに国境の垣根をそれほど感じない旅であった。

台北 台北

文・写真  榊原正吾



1990年10月8日付 四国新聞
石の楽器の旅 サヌカイト台湾へ (中)

-文化談義- 数千年の歴史を追う 太極拳も禅も根本は同じ

 孔子祭ツアーに参加した讃岐からの一行は、前田さん夫妻、長女桂井子さんほか、報道陣をのぞいて五人。台湾政府との関わりから藩英仁日大教授も往復同行、現地ではいとこの許美麗さんと共に案内役に徹してくれた。五人の同行者は、香大教授で音楽専門の佐倉友章さん、会社役員香川俊雄さん、高松高専講師でヨーガで知られる倉本英雄さん、サヌカイト楽器技術者の斉藤昌道さん、同楽器デザイン担当の三好理恵さん。いずれもサヌカイトの持つ古代の音の魅力にとりつかれた人たちばかり。

 「サヌカイトの持つ石の響きはヨーガの瞑想に通じます」と倉本さん。三人、四人乗りの単車が行き交い、少しでも車間距離があろうなら左右から我先に飛び込んでくる車の洪水に一行びっくりしながらも社内では、サヌカイトの不思議な音色をめぐり文化談義が続く。

 路傍に置き忘れ去られたように半ば朽ちかけた日本家屋。四十五年ぶりの光景を記憶の中でまさぐる香川さんは、終戦時十五歳。八十歳を過ぎた母親への土産にと、仏桑花、ガジュマル、椰子の木などの光景をカメラに収める。倉本さんも六歳まで台湾に。戦争を知らない世代が、男性天国といった戦後のレッテルにある種の羞恥心を抱くのとは別に、戦前派には、しょく罪感と亡旧の念が同居しているらしい。

 ともかく、一行中最も食を楽しみ、かつ、文化談義の中心的役割を演じたのが佐倉教授。故宮博物館、文化大学芸術院、また十年の歳月と四百億円という巨費、軍隊まで動員して造り上げたという壮麗な国家戯劇院と音楽庁で、中国数千年の音楽の歴史をたどって精力的に動き回っていた。

「台北市内の光景は、まるで日本の昭和三十年代。急ぎすぎですね。太極拳も中国大陸と違ってラジオ体操、血行を良くしているだけ。ヨーガ、禅、太極拳は根本が同じ、呼吸と心と動作三位一体となって自然界の気を体内に取り入れなくては」香川ヨーガ同友会会長としての倉本さんの台湾観である。

孔徳成前田仁郎静山孔徳成氏(左) 前田仁 郎静山氏(右)
文・写真  榊原正吾

 

1990年10月9日付 四国新聞 文・写真  榊原正吾 

石の楽器の旅 サヌカイト台湾へ (下)

-交流拡大- 孔子第七十七世を表敬 晩餐会でお国自慢弾む

 蒋介石政権が軍艦数隻で三日三晩掛け北京・故宮博物院、南京・中央博物院にあった国宝級美術品七十万点を台北郊外へ。台北の故宮博物院は"一に故宮、二にグルメ"といわれる台湾観光の目玉。故宮博物院の文物と共に台湾に渡った多くの著名人たち。その中でも孔子第七十七世孔徳成氏(70)は代表格。台湾では、司法、行政、立法に監察、考試を加えて5種が存在。孔徳成氏は考試院院長、日本でいえば、最高裁判所長官に匹敵する。

 孔子廟に磬を寄贈した縁で考試院を表敬。前田仁さんからサヌカイト製磬のミニチュアが孔氏の手に。手違いから約束の時間に三十分ほど遅れたにもかかわらず、にこやかに一行を迎えてくれる。柔らかな手で全員と握手。西日本放送取材陣のインタビューに答えて、「台湾政府としてだけでなく、国民として孔子廟への磬の寄贈に感謝したい」とまず謝辞を述べ、「孔子とは」の質問にも「祖先として尊敬崇拝する一面と、時間を超越して新しい宗教家、哲学者の二面があります」とよどみない答え。世界平和のために必要なことは、「仁と恕」。「国と国、人と人は同じこと、仁道とお互い、恕し認めあうことです」と答えた。

 孔氏と前田さんの仲立ちをした人が、郎静山氏(100)。世界的にも有名な写真家。中国撮影協会理事長。国民的英雄である。

 台北市内の自宅を訪問したその朝も午前二時から暗室で仕事をしていたとか。階段をひょいひょいと上がり下りするほどのかくしゃくぶり。手ずから月餅をふるまいながら「サヌカイトの音は古代の雅の音ですな」。この人もサヌカイトの魅力にとりつかれた一人であった。

 月餅は台湾をだいひょうする菓子。グルメといえば、孔子祭り前夜、国家戯劇院の胡耀恒主任主催の晩餐会は、チョアンチュアイ、つまり四川料理、四川省は夏は猛暑、冬は極寒の為唐辛子をたっぷり入れているのが特徴。鶏肉を二四時間煮込んだ「貴妃鶏」シロキクラゲと蓮の実のスープ「銀耳蓮子」のほか、蛙を使った「生炒田鶏」など珍品がずらり。このほか台湾では飲茶、海鮮、台菜、湘菜、広東、北京、上海料理などバラエティに富んだ中国料理が楽しめる。

 晩餐会には、ホスト役の胡主任の他、前副主任であり作曲家連盟中華民国総会理事長の許常恵氏、台北市政府民政局長の王月鏡氏、国会議員の廬修一氏、台湾大学の英紹唐教授ら政府要人、文化人がずらり。欠くテーブルでお国ぶりを話題に紹興酒の乾杯、乾杯がいつ果てるともなく続いた。

 

 

1994年3月28日付 四国新聞

米国に響くサヌカイト(上)

-音楽は万国共通- 県人の奏者と競演 ジャズ界大御所手放し
米国に響くサヌカイト 米国に響くサヌカイト

 アメリカ北西部にあるアイダホ州。日本ではポテトの産地として知られている。この州の西に位置する人口約二万三千人のモスコーの町。毎年二月下旬に「世界ジャズフェスティバル」が開かれる。今年も先月二三日から二六日の四日間開催され、世界から詰めかけた延べ五万人のジャズファンでにぎわった。

 ライオネルハンプトンら世界に名を知られるジャズプレイヤーやシンガーが出演するジャズの一大イベント。今回は日本の坂出からサヌカイト楽器が特別出演、ハンプトンが演奏し注目された。

 サヌカイト楽器は石琴と琮(そう)。ビブラホンの世界第一人者のハンプトンが、ステージで軽妙なマレットさばき。「スターダスト」や十八番の「オンザサニーサイドストリート」などビートの利いたナンバーを次々に演奏しジャズファンをうならせた。ハンプトンの至芸で、会場はエキサイティングな盛り上がり。舞台の袖で出番を待っていた佐倉友章(元香川大学教授)に「一緒にやろう」と声をかけた。ハンプトン得意の掛け合いと佐倉のパフォーマンスがうまくかみあい客席からやんやの声援、ハンプトンは佐倉をスペシャルプレイヤーと称え握手を求めるのりだった。

 佐倉はサヌカイト楽器の演奏を兼ね特別ゲストとして同フェスティバルに招かれ、ジャズ界で神様的存在のハンプトンとの競演に涙を流した。「生涯最高の思いで」と手放しの喜びようだった。音楽の世界ではまだ無名のサヌカイト楽器にハンプトンは大変な興味を示し、佐倉は「サヌカイトを通じてハンプトンの言葉を聞くことができた、音楽は万国共通語ですよ」と興奮気味に話した。

 モスコーの町全体がジャズフェスティバルにスイングし、会場になったアイダホ大学の大型体育館(一万人収容)は、マイナス五度という外気と正反対に熱を帯びた。スキーを兼ねた客も多く、町全体が陽気な歓迎ムード。日本のように金をふんだんに使った華美なイベントではなかったが、素朴な中に二三年間続いている世界的なイベントの深さを感じた。ハンプトンはサヌカイトを「心をいやす音を出す石」「私を素直にさせてくれる石」とコメント。サヌカイト楽器は、ハンプトンの他、アメリカでこれからいろいろな出会いを作ってくれる。

米国に響くサヌカイト 米国に響くサヌカイト
文・写真  池本正文


 

              

1994年3月29日付 四国新聞

米国に響くサヌカイト(中)

-ジャズと演歌- 開拓精神に脱帽 遅れる日本の音楽教育

 米国アイダホ大学で毎年開かれている「世界ジャズフェスティバル」には、もう一つの顔がある。世界を代表する有名なジャズプレイヤーらが出演する華やかなステージとは別に、大学の教室を使って学生の音楽コンテストが繰り広げられる。

 アイダホ大の最高責任者は、女性学長エリザベス・ゼンザ。大学の特色を出そうと音楽教育に力を入れ、田舎の大学だが、音楽教育では米国で大変目立つ存在だ。音楽コンテストには、全米のほかカナダからも学生が参加、ピアノや声楽、作曲など多彩な分野で競い合った。同大学の先生らが審査しているが、もちろん「世界ジャズフェスティバル」に毎年メーンゲストとして出演しているライオネル・ハンプトンの姿も。出場者は"ジャズの神様"との対面に感激、審査会場は興奮の渦に包まれた。

 ハンプトンは今、同大学の名誉教授に迎えられ、大学の音楽講座に「ハンプトン教室」の名がついているほど。大学のほか付属の小学校でも教べんをとっている。八十五歳という高齢だが、ジャズを中心にした味のある授業が人気の的だ。米国の音楽といえばジャズ。日本では演歌ということになるが、日本の有名音楽大学で教授として活躍している演歌歌手の話はあまり聞いたことがない。米国という国の奥の深さに脱帽させられた。

 「世界ジャズフェスティバル」の席上、アイダホ大学にサヌカイト楽器の創始者・前田仁(坂出市)から石琴など三種類のサヌカイト楽器が寄贈された。同フェスティバルの総プロデュウサー・スキナー同大学教授の強い要望で実現し、スキナー教授は「サヌカイト楽器は、人の心をいやしてくれるとハンプトン名誉教授が絶賛している。この楽器で特色を出した音楽教育に取り組みたい」と張り切っている。

 音楽の世界では無名に近いサヌカイト楽器。「素晴らしいものなら無名でも使ってみたい」-という米国の開拓精神に再び脱帽させられた。

米国に響くサヌカイト 米国に響くサヌカイト
文・写真  池本正文


1994年4月 7日付 四国新聞
米国に響くサヌカイト(下)

-教育の国際化- 得意顔で歓迎演奏 交流生んだ不思議な石

 「この石は、心を休めリラックスさせてくれる」。米国ワシントン州立大学のスミス学長は、サヌカイトの大ファンである。大学構内にある学長公邸にサヌカイトを飾り、学長主催のパーティーの席上、得意顔で"演奏"し、日本から来た旧友の前田仁さんをもてなした。このサヌカイトは、スミス学長が数年前、坂出市内の前田さん方を訪ねたときプレゼントされたものだ。以来、家宝として大事にしている。

 ワシントン州大(学生数一万八千人)は、教育学部とフットボールの有名な学校。古くから国際教育の振興に長年協力している。このほかワシントン州大に、九十四カ国、千二百人の留学生がいる。"多国籍"の学生が学び、地球規模の交流。教育の国際化というけた外れのエネルギーがこの大学に渦巻き、神戸からの留学生(二二)は「国籍は関係なく、教育を志すものはみんな対等のパートナーとして扱ってくれる。今年卒業ですが、もちろんアメリカで仕事をします」と顔を輝かせていた。

 こんな素晴らしい大学にいる先生は、日本の教育をどう思っているのだろう。日本の教育に注目している教授は多かったが、文部省の英語教育に疑問を投げかけ「受験英語が幅を利かせ、英会話のできない英語教師がいる日本の教育はおかしい」と辛口の批評をする教授も。ワシントン州大は、十年前から西宮市への教師の派遣や教育交流セミナー、共同研究などの教育提携事業を行っており、事業を担当しているキャロル・ジョンソン教授は「英語は国際語。生きた英語教育に取り組むなど、市を挙げて国際化を進めている西宮市を参考にしてほしい」とアドバイスをした。

 今回、サヌカイト楽器とともに、ワシントン州とアイダホ州を訪れたが、サヌカイトの取り持つ園で多くの音楽家や教育関係者らと親交を深めることができた。ジャズの神様のライオネル・ハンプトンとも出会え、石琴や琮(そう)のサヌカイト楽器が、アイダホ大学とワシントン州大に寄贈され、教育現場で活用されることになった。サヌカイト楽器はこれまで、日本の大学のほか、ドイツやイギリス、台湾の大学などでも活用され、神秘な音を響かせている。香川からしか出ないサヌカイト。地球規模で人と人との交流を生み出している不思議な石だ。

アイダホ州文・写真 池本正文