stone instruments 石の音

前田仁

 
hitoshimain.jpg 2008年3月11日 前田 仁 永眠いたしました 長い間のご厚誼に感謝いたします  写真集

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前田 仁  サヌカイト楽器創作者

前田仁-坂出事務所にて 坂出事務所にて


サヌカイトについて


 打つと金属的な高い音でカーンと鳴ることから、「カンカン石」と呼ばれる讃岐地方の石。ドイツ人地質学者ヴァインシェンク(Weinschenk)が、1891年に発表した名称サヌカイト(Sanukite 讃岐岩の意味 )は、現在でも学名として国際的に通用している。約1300万年前、瀬戸内地方の極めて大規模な火山活動で噴出した際生まれた特異な火山岩で、大量に噴出した溶岩流が急激に冷却したため、特にガラス質になった部分も形成された。普通の溶岩に比べ極めてきめがはるかに細かく1000年の時を経ても約3ミクロンの侵食しかみられないというほど硬質である、安山岩、高マグネシア安山岩または古銅輝石安山岩に分類される。


 サヌカイトの命名にまつわる史実をもう少し詳しく紹介すると、ナウマン象やフォッサマグマの命名者として知られているドイツの地質学者ナウマン (Naumann) は、日本の讃岐地方には叩くとよく響く「カンカン石」と呼ばれる石材がある・・・と1885年ドイツの学術誌に紹介した。それから6年後、ナウマンからこの石の提供を受けたヴァインシェ
ンクは、観察の結果、極めて細粒緻密で、今までにないタイプの岩石であることを発見し、前記のように「サヌカイト」という名前を与え、1891年に学会で発表した。


 香川県坂出市江尻町金山には、いたるところにサヌカイトやその破片が散在している。そして、ここ金山のサヌカイトは、ガラス質が緻密で同一方向に目が揃っていることに特色を持つ。つまり、硬質・緻密でたて一筋に鋭利に割れる特質がある。人類がまだ土器を作ることすら知らなかった今から1万年以上も前の旧石器時代に、原住民は、この石材に注目し、鏃や石斧など数々の石器を作った。サヌカイトでできた石器が日本各地で使われていたことは、遺跡発掘などの結果から解明されている。しかし金山が「水晶より硬い石」として、古代の人たちの生活に関わっていた石器の素材源産地であったことが判明したのは、京都大学・東村武信教授の調査・研究のあった1979年のことである。


前田仁-アイダホ大学アイダホ大学Maeda Music Scholar Award 設置 前田仁-アイダホ大学2


サヌカイトとの旅


 八月下旬のエジンバラの夜は、厚手のジャケットが欲しいほど寒かった。中世のたたずまいを残した教会の中で,ツトム・ヤマシタの演奏が、石造りの壁に反響しながら続いていた。演奏が終わったとき聴衆は拍手と床を踏み鳴らしてアンコールを続けた。世界各国から選ばれたアーチストとともに、サヌカイト楽器が初めて体験する世界の檜
舞台であった。サヌカイトは、その後もベルリン音楽祭、ヒューストン音楽祭・バチカンの教会・ストーンヘンジ・中華民国音楽庁での演奏等々を続け、1993年からはアメリカのライオネル・ハンプトンジャズフェスティバルでのコンサートなど、世界中を旅している。

 音楽とは無縁で音符など全く無知であった私は、昭和54年1月1日四国新聞のサヌカイト石器の特集を読み、私の住む金山がその産地であったことを知った。太古の日本列島に住んでいた人たちが、金山で作った石器で生活し、狩猟や自分の命を守る武器として、人と深く関わってきた歴史を思いながら、この石をもう一度工夫してみよう。
こんな思いから石の楽器作りが始まった。

 この音の再生を手がけて以来、音響工学の専門家や音楽家がしばしば金山を訪れ、カンカン石は不思議とも思えるほど、多くの人との出会いを生み、学術的な助言を受けながら、サヌカイト楽器が誕生した。国内でも善通寺・御影堂、サントリーホールや延暦寺・根本中堂での演奏など、音を大切にしながら育てている。

 以前、新宿の百貨店でサヌカイトの音を披露したとき、両親が付き添った車椅子の少年に「本当にいい音でしょう」と何度も話しかける母親がいた。無表情に近い顔を向けた少年に、父親がまた石をたたいて音を聞かせていた。この事が縁でいくつかの施設に石の楽器を送ることになった。人との関わり合いが、よみがえった石の喜びの声を聞
くようである。「人・心・物、大いなる手のひらの上に、えにしの糸が織りなす不思議な出会い、いつまでも大切に」と、喝を入れられながらサヌカイトとともに旅をしている。

                                  
前田仁-金山にて金山にて

石の中に母の言葉がありました。      1992年9月28日付    朝日新聞記事より前田仁-朝日新聞より



  闇に沈む比叡山延暦寺の中で、その夜、根本中堂だけが激しく息づいていた。元亀二年(一五七一)、山は織田信長に焼き払われ一度、灰になった。今年はその伽藍復興に尽くした大僧正の三百五十回忌。合わせ「信長も、堂宇と共に果てた僧ともども戦乱の世の犠牲者」と、恩讐を超える慰霊の供音式が二十三日、営まれていた。荒ぶる軍勢、僧兵の雄叫びのように和太鼓、ティンパニ、シンバル、ドラムが回廊を揺すって奮闘する。一転、天空に澄み渡る玄妙なサヌカイトの響き。一転、かがり火の揺らめきに乗って闇に舞い上る魂魄の幻影を見た。この夜の主役、サヌカイト楽器作りに打ち込んで十数年。深い感動と、安らぎの中にいた。
    
  十七年前、母を亡くした。「五十を過ぎたら、理屈でのうて、人の情の中で豊かな人生を過ごすんよ」と、言葉を残して逝った。以来、石が鳴り始めた。 若くして高瀬町で建設会社を経営、限りなくもうかった。土地、山を買い続け事業の手を広げていた。砕石場にと求めた坂出市郊外の金山は、「カンカン石」と呼んで子どものころから親しんでいた「鳴る石」の山だった。だが、それまでは道路の基盤を囲める捨て石の山でしかなかった。 

 「鼻っ柱が強く、著りたかぶってたんですね。母を亡くしたのち、京都の種智院大学に三年間通いました。お坊さんと祇園で遊ぶようなことも始めたんですが、それまでバカなことと思っていたことが、生活の中で実に意味のあることだなあ、と思えるようになって」ふと、石が気になり始めた。「京都から戻って、東京芸大の打楽器の教授に石を見てもらった。夏でしたが、先生の背広の背中が見る見る汗で丸くぬねていくんです。ウーンと言ったまま、一時間ほど叩いていました」
     
  サヌカイトは不思議な石だ。日本名は讃岐岩質安山岩。千三百万年ほど前にマグマが冷え、固まって出来たという。同系の石は広く採れる。それでも、鳴るのは金山、国分台、城山と坂出周辺のものだけ。なぜだか分からない。誇り高い石でもある。ただ、叩いただけでは鳴らない。黒い肌を艶やかに磨き上げた石同士を打ち合わせるか、薄く研ぎ出してやらないと、応じてくれない。大きな塊はもっと気高い。人の方が思いを込めて深く、浅く、円く、太く、細く、問い掛けるように溝を切り込むと、やっと音が渦巻き始める。夜空の星のきらめきのように染み入るかと思えは、大地の底から沸き立つように心をゆする。石の結晶の中に封じ込められた宇宙創造のエネルギーが、解き放たれたかのようだ。
     
  加工の技術者とともに、石に問い掛けている。「人間に何かを伝えたいと求めているような石の命を感じます。三万年前、この石は石器になっている。ご先祖さんも素晴らしい音を聞いたんでしょうね。人間との長い交わりがあるからでしょうか、慰みがあるんです」サヌカイトの音を求めて、たくさんの人たちが、この人を中心に輪を膨らませている。若い地質学者、材料振動学の権威者、物理学者、最先端を行く宇宙物理学者が坂出に足を運ぶ。

「石の中に母の言葉がありました」

前田仁-石の中に母の言葉がありました                                                                      (編集委員・中村 征之)

子供にサヌカイトの不思議や人との出逢いを語る機会も多い
前田仁-子供にサヌカイトを語る 前田仁-子供にサヌカイトを語る2  


前田 仁 略歴  昭和4年2月17日生まれ 東京工業大学卒 四国通産局勤務を経て豊和開発設立

前田仁ヒストリー1 前田仁ヒストリー2 前田仁ヒストリー3 前田仁ヒストリー4 前田仁ヒストリー5


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前田風鈴について

前田風鈴1  前田風鈴2

 この石は、1000年で3~4ミクロン風化します。(東京大学:地質・論文より) 10万年後は、0.5ミリ弱の風化損失ですから、殆ど形は変わりません。 「人間は、音のことを素晴らしいと思っているらしいが、サヌカイトの本当の素晴らしさは1000年で数ミクロンしか風化しないことだ」 「人間が未来に残す、何か大切なメッセージを、刻んでおけば、永久に残る、記念品が出来るのになあ」とサヌカイトの声が聞こえてきます。 

  この石は、石器の材料でした前田風鈴3 前田風鈴4   

   金山は、古代人が石器を作っていた山だ・・・と云われて、驚いて、 石の音づくりが始まって、 20数年が、アッと云う間に飛んで行きました。 「もう少し、もう少しいい音に」と思いながら、沢山の先生方から教えられ、育てていただいた、石の音も、随分磨きがかかったなあ、と感じるようになりました。

  「この辺が、自分で作る音の限界かなあ」と思いながら、 この石の音、何か、役に立つかなあ? こんな思案をしているところです。

   サヌカイトを素材にした石器は、金山の中腹で、2萬数千年も前から古代の人達が、ナイフや、石斧・鏃などを作っていました。 その石器を、生活の道具にしていましたから、人とは、とても長いお付き合い、と云うことになります。 だから"親しみのある音"を感じるのかな と思っています。

 金山産の、サヌカイトの振動特性は、低音域から高音域にかけて、とても広い周波数分布をもっています。 人の耳で聞き取る事の出来ない、いわゆる非可聴域の高周波音などは50万ヘルツを超える成分があり、石の音の不思議さは、この辺にあるのかと、思ったりしているところです。 高周波域の音響効果は、   少量であっても'脳の活性化と、集中力を増す'  と云う論文は、 A・トマティス博士(フランス)をはじめ多くの学者が述べています。

  音の成分が人の心を癒したり、植物に音楽を聴かせたり、酒やワインの醸造に音楽を利用するなど、近年、音が生物に反応する効果を求める人達は、世界中にふくらんでいます。

  古代中国で石の楽器"磬"がつくられ、宮・商・角・徴・羽、の五音から七音、さらに周代景王と楽官・伶州鳩(BC522年)の問答の中に、12律の音名が「周語」に納まり、今日の音階の原形が2500年前に成立していたこと、12音が6律6呂に区分され、黄鐘・大呂、を軸とした陰陽の音律が明記されるなど、古代の人達が、音によせた整然とした律学と共に

 ・幼な児の眠りを誘う、やさしい音

 ・祭太鼓や鐘、 強烈なリズムで若い人を、乱舞させる音               

  ・古里や、子供の頃の懐かしさを、思い浮かべる曲     

 ・讃美歌、声明・詠歌の、祈り中に慈悲と愛の心を、呼びおこす音など

  音のもつ不思議な力に驚かされています。

    このところ、音の陰陽(呂律)のことが妙にひっかかって、頭から離れませんでした。 何か簡単に、石の音を、紹介するもの、出来ないかなあ、と考えていました。

  まわりの人から、石の音色には、雌・雄の別が感じられる、と云われたり、 耳に聞こえない音をもう少し大事にしなさい、と教えられたり、 何か同じ事を考える人達が居られるなあ、と思っていましたら、 国の古い、遊印・問章の類を収集される方から、明代の銅印ですと云って麗しい石の音にこの印を使って下さいと、頂きました。そこで、 風鈴の様な玲(透き通るような美しい石音)を作ることにしました

  雌・雄、音別の石と、中心を、陰陽五行説の、中央・宮(黄鐘)音とした、8,372HZの高音域を使ってみよう、(ピアノの最高音88鍵は4,186HZ)  このクラス、基音の石であれば、50万HZの超音波が含まれるから、脳の活性化で、ボケ防止(私の)に役立つかなあ・・・と、こんな願いを込めた、風玲が出来ました。

   作りが、粗雑なのは、72才の老人(私)が、一生懸命つくったものです。御容赦下さい。 わが家の軒下ではもう20年にもなる石の風鈴(古くてさらに粗雑)が今も、鳴っています。

坂出市金山   前田 仁 前田仁