ツトム・ヤマシタ

ツトム・ヤマシタ
地球を打つ                                                 


 サヌカイトの濡れたような響きは、さながら悠久の太古からのメッセージのように、幻想的で、神秘的な、それは又、果てしなく広い「空」を感じる音です。 1350萬年と云う気の遠くなるような、時空を超えて、一つ一つの石の響きが、私達に語りかけているようにも思います。"打つ"一瞬に、生じる音色とリズムは、ある時は、喜びの瞬間とも、ある時は、悲しみの瞬間とも、実にさまざまの変化が感じられます。石は人間の歴史が始まる遙か以前から存在しているのですから、人間の想像を絶する、なにものかを秘めていて不思議ではありません。


 私はこれまでに、数多くのすばらしい人々との出会いがありました。予期せぬ時、思はぬ所で、不思議な人と、そして、物事に遭遇した時、言葉では言い表すことのできない新鮮で衝撃的な現像を、体に感じます。それはおそらく、自分の中で常に何かを求めつづける感性や心が、その偶然を作りだしたものかも知れない、などと思ったりしています。今、私は、 - 太古からの生命を持ったサヌカイト - に向い合っています。それは私にとって、聖なるものとの出会いであり、「神仏からのさずかり物」と思いながら、自分で打った石の声に耳をかたむけ、自分を顧み、教えられながら、サヌカイトのもつ幻想的な響きから、アウト!宇宙への限りない広がりの世界へ、音の曼陀羅を求め、旅をつづけています。

ツトム・ヤマシタ1 Stonehenge 1990   ツトム・ヤマシタ2 Suntory Hall 1987



ツトム・ヤマシタ 伝説の打楽器奏者の復活

  石の楽器を使った...ニュー・エイジ・ミュージック

                   by  ヒューウェル・タークイ  1997 intune  より

 ヤマシタが帰ってきた! 若いころに輝かしいキャリアを築き、その後長期間引退していた日本のすばらしいバーカツショニスト、ツトム・ヤマシタが、再び演奏作曲、レコーディングを開始したのだ。ほぼ20年ぶりのニューリリースは、以前と同じ優れた演奏を聞かせてくれる。強いて違いを挙げるとすれば、そして以前にも増して優れている点といえば、「サヌカイト」という素材で作られた現代楽器の著しい発展ぶりを世界に広める役割を果たしていることだ.

 サヌカイトは霊的で情緒的ものを思わせるサウンドを持ち、楽器としての高い可能性を持っていたので、古代の日本人はこの石で鐘、ゴング、笛などを作っていた。こうしてこの石は、「カンカン石」として知られるようになったのだった。もちろん、岩を集めて音楽を作った文化は数多くある。手をたたくのに近いもので、民俗音楽学者たちはこれが音楽を作るという行為のもっとも原初的なものだと考えている。アメリカ原住民の音楽もそういったもので、これまでにレコーディングされてもいる。サヌカイトという石は、割れるような、あるいはハンマーでたたいたような音とは違い、まるでピアノの弦のように振動し続ける。


ツトム・ヤマシタ3 Yamash'ta & Maeda   ツトム・ヤマシタ4 Hieizan 1993


 ここでマエダ・ヒトシ(前田仁)について触れておこう.彼は四国に住んでいて、この石の素析の持つ可能性に心を惹かれ、この自然石に様々な角度で切り込みを入れることから探求を開始した。ときには無作為に切り込みを入れたり、きわめて大きく切り込むこともあった。たたいてみると、驚くべきサウンドを放つ。振動を始めると、この岩は人間のハミングによく似たサウンドを放つ。こういった音から感じられるものは、明らかに人の感情を捉える。太古の地球の内部が「歌で」語りかけているようなサウンドだ.そこでマエダは、彼の会社で働いている、技術者のサイトー・マサミチに楽器の製作を手伝ってもらい、こうして生まれた音楽がこのハイテク・ディスクに録音されている.それは唖然とするような音楽だ。

 ヤマシタは、1960年代後半から1970年代初期にかけて、尋常とは思えないテクニックを持つバーカッショニストとしてかなりの名声を築いていた。バス・ドラムを表情たっぷりに演奏するなどということが想像できるだろうか? ばかげたことのように思われるかもしれないが、ヤマシタはこれができるのだ。タイム誌の音楽コーナーは、1969年、ラヴィニア・フエスティヴァルがヤマシタに委嘱した「協奏曲」の初演の後、彼の記事を組んだほどだ

   おもしろいことに、マエダの楽器のことを初めて耳にしたとき、ヤマシタはあまり興味がなかったという。ヤマシタを四国に向かわせたのは、彼に精神的アドヴァイスを与えていた仏教僧だった。いくつかの楽器を演奏してその可能性を感じたヤマシタは、サヌカイトの楽器を使った音楽を作曲し、演奏するプロジェクトにすぐに飛び込んでいった。したがって、これらのレコーディングでも特に興味深い側面は、ふたつの復活を同時に聞くことができる点だ。ほとんど忘れ去られたすばらしい楽器の新しい方向と、偉大な創作家/演奏家の復活だ。海外に長く住み、演奏を続けていたヤマシタであったが、マエダの石の楽器を発見したことによって、完全に日本的な音楽への方向がついに定まったようだ。私は1960年代の彼をよく知っているが、宗教的なところなどまったくなかった。それが、毎日観音経を吟唱するうちに、すっかり変わってしまったのだろう。

 こういった試みが今後どう進展ていくのかはまったくわからない。サヌカイトを使って日本の古典楽器を製作しようという実験も行われているという。たとえば尺八を、竹ではなくサヌカイトで作って公開演奏しようというものだ。(その音はいっそう温かみがあると言われている。)次はサヌカイトのヴァイオリンでもできるのだろうか?彼がまだ発見していない可能性もあるだろうし、なかなか魅力的だ。考えてみれば、彼はまだ始めたばかりなのだ。ヤマシタがまだ40歳代の後半であることを考えると、彼はこの物体の芸術的神秘性を解き放つ途上にあるように思われる。芸術性というひと撫でで新しい生命を月覚めさせてくれる王子を待つ、眠れる森の美女のような物体だ。

ツトム・ヤマシタ5 ツトム・ヤマシタ  recording at Simpty Studio   

  1947年京都生まれ。中、高校時代から京都市交響楽団、大阪フィルで打楽器奏者として参加。17歳で渡米。ジュリアード音楽院、バークレー音楽院で学んだ後、打楽器による新しい音楽を創造し、ベルリンフィル、フィラデルフィア管弦楽団、シカゴ響などと共演、打楽器のイメージを変へた人として世界に知られる。1972年、演劇と音楽を融合した舞台作品を創造する芸術集団「レッドブッタシアター」を組織し世界中をツアーした。、また同時にロックグループ 「GO」 結成、そのアルバムは、世界中で数百万枚のセールスを上げた。ジャンルを超え、世界各地で活躍。1973年、グラミー賞「作曲賞、監督賞」ノミネート。 1980年、京都にて宗教音楽を研究し「供音式」なる新しい形態を確立。1984年映画「空海」で日本アカデミー賞音楽賞受賞。以後、音楽芸術監督として国際的に活躍している。

2001 12/19 ツトムヤマシタ 香川県民ホールライブ
ツトム・ヤマシタ6  ツトム・ヤマシタ7
 
2001 11/10 ツトムヤマシタ けいの里ライブ
ツトム・ヤマシタ7  ツトム・ヤマシタ9

2001 10/16  ツトムヤマシタ  レコーディング ソニーミュージック
ツトム・ヤマシタ10  ツトム・ヤマシタ11

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ツトム・ヤマシタ インタビュー   tower record 1997/11 museeより

 世界的に著名なバーカツショニスト、ツトム・ヤマシタ氏が石の楽器・サヌカイトに挑んだ<太障の儀礼>三部作。1、2作目が打楽器や邦楽器、シンセサイザーを用いてのものだったのに対し、4年ぶりにリリースされた今回の作品はまさに満を持してのサヌカイト・ソロだった。

 「今回音楽じたいはものすごく単純なのですよ.それこそ子洪でも大人でも老人でも聴けるような.音楽は時代と共にどんどん着色していく傾向にあるでしょう。その反対にミニマルに、美を求めてより単純化していく。単純なものは真理である、と。それは科学なんかにも通じるのだけれども、科学っていうのは真理を探求するものでしょう。その真理っていうのはものすごく単純なのです。で、その答えっていうのは<美>な・・・たとえば、サヌカイトの音の波形なんて見たことないでしょう?もう他のものとは比較にならない。他の楽器では1秒間の中での減衰が激しくて、それだけ音に濁りが生じるのだけれども、サヌカイトの場合はそれが長い。つまりそれだけピュアなのです。

   サヌカイトの美音が最大に生かされた静かなやさしい音楽は<夜>の雰留気を醸しだしている.それは2曲のオリジナルの間に挟まれたベートーヴェンの月光に象徴されている。「今度のテーマは<PEACE&LOVE>なんです。ピース、つまり安らぎっていうのは太陽」じゃなくやっぱり月なのですね.それと人類が月に行って何を持って帰ったかというと・・・石でしょ(笑).今回ひとつの発見があったのだけれど、ピアノで月光をやる場合と石でやる場合とでは大きな違いを感じた.ピアノでやるとすごく人格的なものになってしまうのだけれど、石でやるとそういうものを超えてもっとコスミックになっていく。ベートーヴェンのようなものすごく西洋的な芸術、概念をあえて東洋的なところから受け止めてみようと。」

   新作に漂うもうひとつの雰囲気に<癒し>というものがある。これはヤマシタ氏由身ライナーノートに記している病の体験と無関係ではなさそうだ.「僕は病気になって初めて漢方治頼というものを受けたのだけれども、人間というものはすべて陰陽のバランスのなかで生きていることを主治医の先生から勉強させてもらった。まったく音楽も同じで、音のなかでの陰と陽のバランスが崩れれば<律>が成り立たなくなるということを感じたのです。ようするに陰と陽というものがバランスとしてあって、それはどちらが主でもない。時間、空間の中に音の振動が生じてそれが消滅していく、その連続でしょう.絶えずその瞬間に生と死が繰り返されている.空間において現象が生じる。それは漢方的な考えでみるとすごく理解しやすいのですよ。そういうところにものす・・・患者なのに(笑)、中味をもつことで音楽のなかにも反映されていったのです。

   ではなせサヌカイトなのだろう.17歳で演米しクラシック、ジャズ、ロックとそれぞれの分野で成功を収めるというキャリアの頂点にありながらすべての音楽活動を中止、突然帰国してしまうという大きな転機がヤマシタ氏にはあった。「その結果こういう石なんかとの出会いがあったわけだからね。ひとつの人生の中で西洋と東洋における<音>の追求の方法が違うということが認識できたこと、それを体験しながら自分で音楽をやっていくという・・・このふたつの世界を体験できたっていうのは僕にとっては大きな財産ですよ。そうしているうちに石がポーンと、むこうから釆てくれた。しかし初めて石を見せられたときには大問題がでたな、と(芙)。これは自分が今まで接してきたやり方、こうすればこうできる、というシロモノではないと直感的に思いました。自分の内にあるへんなものを取っていかないとこれはできないとね。普通は自分のものを出していくのが表現なのだけれども、由分の無駄な表現が取れていくことによって逢うものが出てくるっていうか・・・。いかにその石を奏でていくうえで自分の想いと-致した技法を見つけるか・・・やっぱり10年かかつたね。」

   常に新たなものに挑戦し続けてきたヤマシタ氏にとってほサヌカイトもひとつの通過点にすぎないのだろうか?しかし今の心境としては良い意味でずっと淡々としてきているようだ。「たとえば今ジョン・コルトレーンなんか自然の中で聴いてもね、邪魔にならない。自然と調和するのです、ああいうジャズみたいな音楽でもね。ジャズというのはもともと虐げられて来た人々の中から生まれてきた反発の意味合いが強い音楽なのだけれども、コルトレーンなんかを聴いているとそういうものを感じない。もっと音じたいに彼自身と宇宙とが一体化していく喜びみたいなものを感じる。自由とはそういうものなのかなと・・・これは新しい発見でした。だからこれからは音ともっと戯れる、音が自分の人生の良き友みたいな感じ・・・その延長線上でたとえば録音しり、コンサートというかたちでやっていけたらこんなハッピーなことはないと思っています.サタカイトもまだまだ続きますよ。三部作としてはいちおう完結したけれども、これをやつたことでいろいろこれもできる、あれもできる、ということが解ったのです。心の幅がぐっと広まったところで自分自身が遊泳でき・・・それは僕にとってものすごく楽しいことなのです。」


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ツトム・ヤマシタ12
ツトム・ヤマシタ・バイオグラフィー

     Stomu Yamash'ta

      「打楽器のイメージを変えた人」 タイム誌より

 

1947年京都に生まれる。5歳のときより父・山下清孟より音楽の手ほどきを受け、ピアノをはじめる。8歳で打楽器に魅せられ、打楽器を専攻。17歳で渡米。クラシック、ジャズなどを学んだ後、打楽器による新しい音楽を創造し、世界を代表するオーケストラ(ベルリンフィル、フィラデルフィア、シカゴ響他)と共演、「打楽器のイメージを変えた人」として若くして打楽器音楽の巨匠たる地位を世界で確立。

1972年、演劇と音楽を融合した芸術集団「レッド・ブッダ・シアター」を組織し、500回を越える公演を開催。また同年、芸術選奨文部大臣賞「新人賞」受賞。1973年グラミー賞「作曲賞・プロデュース部門」ノミネート。1976年ロックグループ「GO」を結成しジャンルを越えて世界各地で活発な活動を行う。

1980年京都・東寺にて仏教音楽を研究し「供音式(音による法要)」なる新たな形態を確立。その後、高野山・延暦寺・薬師寺・東大寺・英国ストーンヘンジ他各地で供音式を行う。この間、国内外の多くの映画音楽も手がけ、1984年佐藤純弥監督映画「空海」では日本アカデミー賞「優秀音楽賞」を受賞。1986年石の楽器「サヌカイト」との出会いにより、ヤマシタの音楽がより深い次元へと進化し、現在の安らぎと愛に満ちた音世界に発展することになる。以降、受賞・招待公演多数、音楽家、芸術監督としても国際的に活動中。

ツトム・ヤマシタ13

1947年
 京都に生まれる。

1961年
 中学・高校時代、大阪市音楽団及び大阪フィルハーモニーに打楽器奏者として参加。映画音楽の打楽器を数多く担当する。

1964年

 ニューヨーク・ジュリアード音楽院に給費留学生として渡米、後にミシガン・インターローケン・アーツ・アカデミーに転学。

1967年  
 ボストン・バークレー音楽院に入学。ジャズを学びながら打楽器アンサンブルの指導をする。シカゴ室内交響楽団と共にアメリカツアーを行う。ソリストとしてタークィ作曲「踊る形」を同楽団と共演する。

1969年

 シカゴ・ラビニア音楽祭でタークィ作曲「打楽器協奏曲」を演奏して、"打楽器のイメージを変えた人"としてタイム紙にとりあげられる。
 アメリカ各地で打楽器リサイタルを行う。

1970年 
 イギリス、オルドボロ・フェスティバルにてハンス・W・ヘンツェ作曲「エルチマロン」を4人のソリストと初演。
 ソロ打楽器とオーケストラによる協奏曲「エキサイドロス(作曲:レオ・ブラワー)」を初演。同作品をベルリンフィル、BBCスコティッシュ交響楽団、その他、多くのオーケストラと共演する。

1971年
 東京にて、日本で初めての打楽器ソロリサイタルを行う。
 アルバム「ツトム・ヤマシタ」を発表。この作曲で世界的作曲家ハンス・W・ヘンツェ、P・マックスウェルデイビス、武満徹氏などと共に数多くの打楽器における作品を生み上げ、若くして世界における打楽器の巨匠としての地位を不動のものとする。

 武満徹がヤマシタのために書いた「カシオペア」を発表。

 シカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、ロサンジェルスフィルと共演。

1972年
 演劇と音楽を融合した舞台作品を創作する芸術集団<レッド・ブッダ・シアター>を組織、フランス・アビニヨン・フェスティバルで「ザ・マン・フロム・ジ・イースト」を発表、衝撃的なデビューとなる。以降、ロンドン・パリ公演を成功させる。

 D・ミオー作曲「打楽器協奏曲」をスイス・ルツェルンフェスティバルオーケストラと共演。

 芸術選奨文部大臣新人賞受賞。

1973年
 <レッド・ブッダ・シアター> イギリス・フランス・アメリカツアー。

 ロバート・オルトマン監督の映画「イメージ」の音楽を担当する。

 グラミー賞 作曲、プロデュースの両部門にノミネートされる。

1974年
 オランダ・ドイツ・スイス・イタリアなどを巡演。

 ニコラス・ローグ監督の映画「地球に堕ちてきた男」の音楽を担当する。

1975年
 <レッド・プッダ・シアター>第2作「RAINDOG」をロンドン・ラウンドハウスの2ヶ月公演を皮切りに、スペイン・イタリア・スイス・オーストリア・ドイツ、再びイタリアを巡演。

 映画「One by One」 F1グランプリの音楽を担当。サントラ盤「One by One」発表。

 アルバム「RAINDOG」発表。

 英国ロイヤルバレエのためにバレエ音楽「宿命-SHUKUMEI」作曲。

1976年
 スティーブ・ウィンウッド(元トラフィック)、マイケル・シュリーブ(元サンタナ)、アル・ディメオラ(元リターン・トゥー・フォエバー)、クラウス・シュルツ(元タンジェリン・ドリーム)などのミュージシャンとコンセプト・アルバム「GO」を発表。

 ロンドン・ロイヤル・アルバート・ホール及びパリ・パレデスポーツにてコンサート。

1977年
 アメリカ・アリスタ・レコードより「GO TOO」を発表。その後アメリカ国内ツアー。

 アルバム「GO LIVE FROM PARIS」をアイランドレコードより発表。

1978年
 NHK特集「GO ツトム・ヤマシタ ロックの旅」放映。すべての音楽活動を一時中止し帰国。京都、真言宗総本山・東寺の食堂(じきどう)にて仏教音楽を研究する。

1980年
 東京にて音楽のジャンルをユニットしたコンサート「トラィアル1」及び 講座「20世紀の音色と音波」をプロデュース。

東寺食堂にて音による法要「供音式」を招待者だけに披露。

1981年
 ロンドン・ホーランドパークシアターにてコンサート・イベント「いろは Life of change」を40回公演。「いろは」シリーズ、アルバム「天地」を発表。

1982年
 ポール・マザースキー監督「テンペスト」(コロンビア映画)の音楽を作曲・演奏。

 アルバム「水」を発表。

1983年
 滋賀県立八日文化芸術会館コンサート 交響詩「光・音」

 東京中野サンプラザにてコンサート 交響詩「光・音」

 アルバム「火」「五大」を発表。

1984年
 佐藤純弥監督「空海」の映画音楽を作曲・演奏・サントラ盤「空海」発表。この作品により、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。

 アルバム「Sea and Sky」発表。

 京都会館第一ホール「第一回東寺カルチャーイベント、ツトム・ヤマシタ・コンサート」を行う。

 新潟・長岡市立劇場「空海の世界」弘法大師1150年御遠忌記念フォーラムでの特別演奏。

 高野山にて弘法大師御入定1150年記念供音式を行う。 (NHK通信衛星ひまわりによる第一回目の放送として生中継される)

高尾山(東京)にて弘法大師御入定1150年記念供音式を行う。

1985年
 科学万博「つくば'85」テクノコスモス館の音楽監督を務める。

 東京・青山劇場にて、子どもの城オープニング記念公演。 「天地の夢~第一話COLOR~」を作、演出し、50名の出演者と共に出演。

1986年
 「天地の夢」の『PULSE』を作曲。

1987年
 京都府綜合見本市会館オープニング記念公演「天地の夢~COLOR、PULSE & MUSE ~」を行う。

 ビデオ作品「天地の夢」発表。

 スコットランド・エジンバラ インターナショナル フェスティバルに招待公演。

 東京、サントリーホール「ツトム・ヤマシタ 宇宙と誕生」コンサート。

1988年
 ミック・ジャガー ジャパンツアー友情出演。(東京・大阪・名古屋で共演)

 香川県・善通寺にて「供音式」を行う。

 京都・KI'89 京北国際芸術祭プレ・イベント 「ミステリアス・ジャーニー・コンサート」を公演。

1989年
 「ガーデン オブ ドリームズ」を作曲。

 京都・KI'89京北国際芸術祭の芸術監督を務める。また、オープニングと「ガーデン オブ ドリームズ」を山国隊と共に出演。

 第4回京都音楽賞「実践部門賞」を受賞。

1990年
 第8回京都府文化賞「功労賞」を受賞。

 京都・KI'90そのべ世界芸術祭の芸術監督を務める。

 CD「太陽の儀礼Vol.Ⅱ サヌカイトの幼想」を発表。

 イギリス・オールドボロー フェスティバル(モルティング・プロムス)、スコットランド・エジンバラインターナショナルフェスティバルに出演し、「太陽の儀礼Vol.Ⅱ サヌカイトの幼想」を初演。

 イギリスのミステリーサークル ストーン・ヘンジでサヌカイトの演奏を行う。

 NHK―BS2重低音番組「音曼陀羅」に出演。

1991年
 奈良、薬師寺玄奘三蔵院落慶法要にて「供音式」を行う。

 BBCラジオ番組「ジャパニーズ・イア」に出演。

 ヒューストン・インターナショナル・フェスティバル20周年記念コンサートに招待出演。

 熊本県、天草五和町の文化プロジェクト「鬼の城パーカッション」の作曲・演出・監修を行う。

 NHK海外向けラジオ放送番組出演。

1992年
 比叡山延暦寺根本中堂にて「天海大僧正三百五十回忌記念法要」で、比叡山焼き討ちの犠牲者と織田信長の慰霊・世界平和祈念のための「供音式」を行う。

 西日本放送製作特別記念番組「Earth(地球)から・・。」に出演、日本テレビで放映

1993年
 アルバムCD「太陽の儀礼Vol.Ⅰ久遠之今」を発表。

 禅宗、大徳寺山内・龍翔寺にて「供音式」を行う。

 NHK-BS放送「エッセイロマン・歴史街道」に出演。京都・東寺について語る。

 滋賀県、彦根市民会館で公演「ツトム・ヤマシタ今を打つ」を天台声明と共演。

 奈良・東大寺の廬舎那仏(ルシャナブツ)発願1250年慶讃法要において記念公演「太陽の儀礼」を行い、華厳声明と共演。

 大阪府高槻市、生命誌研究館のオープニング・プレゼンテーションで総合プロデュース及び演奏を行う。

1994年

 大阪府立近つ飛鳥博物館(安藤忠雄氏設計)において「永遠のアスカディア」-ツトムヤマシタの世界をプロデュース、演奏を行う。

1997年
 京都国際会館にて比叡山宗教サミット10周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」の式典をプロデュース。「神々のささやき」を初演。

 アルバム「太陽の儀礼Vol.Ⅲ 神々のささやき」を発表。

1999年

 瀬戸内寂聴訳によるオーディオドラマ「源氏物語」(全54帖 CD112枚)のテーマ曲、並びに全ての楽曲を作曲・編曲及び演奏し提供。

 NHKニュース11の特集にて従来のピアノ88鍵を超える音階を持つサヌカイト楽器(石琴)等を紹介し、大きな反響を呼ぶ。 同じくNHK海外放送向けラジオ放送番組でも同様に活動が紹介される。

 NHK-BS2番組「滝のシンフォニー」(3元生中継)に出演。

 NHK-BS番組「滝のアリア」を収録。

 ユネスコ及びサクレッドブリッジファンデーション(N.G.O)主催によるフェスティバル「'The Sacred Rhythm' The Millennial Percussion Festival」(インドネシア バリ島:1999/12/31-2000/1/3)において顧問を勤める。また、開催期間中は自らのワークショップ開催やUNESCOアワードの審査員等を勤める。

2000年

 Sacred Bridge Foundation (NGO:Jakarta)の理事に就任する。

 20世紀に別れを告げ、新世紀の幕開けを祝い、世界平和を願って五山の送り火「大文字」をはじめとする、京都を代表する各種火祭りを中心に開催されたミレニアムイベント「京都21」の総合藝術監督を務める。
そして五山の送り火に併せて「ツトムヤマシタ -五大(Five Elements)」を内外のアーティストと共に演奏する。
 21世紀を迎えるカウントダウン・セレモニーではその演出と式典の作曲及び演奏を行う。

2001年
 Sacred Bridge Foundation (NGO:Jakarta)の理事長に就任する。

 ミレニアムイベント「京都21」の成功に貢献したことから、京都市より感謝状の贈呈を受ける。

 東京国立能楽堂にて新作「三世音 - Listen to The Future」を作曲し、発表する。共演者は赤尾三千子(横笛)、孤嶋由昌(声明)、観世榮夫(能)。

 SACDアルバム 「Listen to the Future Vol.1」発表。

 香川県民ホールアクトホールにて 「遍路の旅」コンサート制作出演 共演者は赤尾三千子(横笛)、観世榮夫(能)。

2002年


2003年
 香川県民ホールグランドホールにて「遍路の旅 Vol.2」制作出演 共演者はラガ(ボーカル)、赤尾三千子(横笛)、横澤和也(岩笛)、レナード衛藤(和太鼓)。