Representations of the Intellectual / Edward W. Saidこの本 持っているだけでインテリに見えるか あるいは恥ずかしいか大いに悩むところである 私は知識人とはほど遠いところにいるが(でも無知じゃないさ) 絶妙な立ち位置感覚と精神的なブレーンのような(竹中半兵衛の風情 私は黒田官兵衛だい)人のことだと思っていたりする 少なくともテレビ番組に出てくる知識クイズ専属芸人のような人ではない(お会いしたことはないが 単純に色々なことを良く知っているという雑学人ではない) 知識人は詩人ではない 芸術家ではない 哲学者でもない 考えながら先入観を持ってページを次々めくる パレスチナ出身ニューヨーク育ちという著者だから マイノリティ側の立場的スタイル そういえば数年前に世界の知識人Top20なるリストを見たが 知っているのはアル・ゴアだけだったショックを思い出したり・・・本書でのサイードの知識人について定義 「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」 うなずいたり そうかなあと思ったり アマチュアであると言うことは 左右されないことで 知識人/大衆 が階級社会を構築するなら あるいは知識人が世の中の流れを作れるなら 今の日本には見あたらないか 世の中に出ていないか 60年代70年代的論壇が 本当にブログやテレビの世界での中で生まれるようなものなのか サイードの説く知識人は結局私などには理解が出来なのだ 誰をイメージすればよいのか やっぱりサイードか
ポスト・モダンで有名なジャン・フランソワ・リオタールの「知識人の終焉」 によれば知識人とは 「人間、人類、国民、人民、プロレタリアート 生きとし生けるもの ないしはこれに類する何らかの実体的存在の立場に身を置いたうえで すなわち、ある普遍的な価値をそなえた一個の主体の立場に自己を一体化したうえで その視点から ある状況ないし状態を記述し 分析して その主体が自己を実現するために 少なくともその自己実現の前進のために 何がなされなければならないか を指示するような精神の持ち主」 述べられたのが1981から3年くらいだからとっても近いのだが言葉が難しくさらにわからなくなるので 進めなくなる フランス哲学となったら竹内先生にお話をうかがった方が少しは頭に残るか 負けだ でも我に返れば 私の日頃の行動ははどちらかと言えばアマチュアリズムではないのかな(プロっぽくないと言う意味かも 真剣味が足りないとか) 知識人なら「教養」って言葉も気になる なんだか変な文章でまとまらず疲れてきたので おしまい スミマセン 次は簡単な本にしよう アマゾンで本を買うと 次から次へと難しい本が連なって買えるから こんな風になる 実はまだ2冊同時購入したものが残っているのだ 文庫本で安いからって5冊も哲学書のような本を買ったら 漫画でも読みたくなる

