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ありがたい本


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 知人でPAなどをされている半澤さんが「PAの基本」という本を出版されました とってもわかりやすいどこから読んでもためになる内容です が初めてバンドの音響や録音を始めた時 何にも無くて 失敗しながら現場で汗まみれ(冷や汗含む)になって走り回っていたことが 易しく説明されています これさえあれば幸せだったのに

ナッシュビルは忘れて


20111001.jpg Southerner / Trent Dabbs  


 Trent Dabbs ミシシッピ生まれナッシュビルで活躍 出身地からうける印象ほどカントリーとも思わない 優しいメロディとナチュラルで心のこもった詩 ポール・マッカートニー似の印象もちらほら 多くのテレビ番組で挿入歌として彼の曲が使われているらしい ライブ映像はほとんどないので シンプルな下の2曲をご紹介 CD Southernerは今年の2月に発売された彼の最新作 初めて知ったのは2008年に発売されたミニアルバムでこれが良かった

 今日も朝からバタバタ しかし首の調子が悪いので動きたくはないのが本音(ブログをやめた理由の一つ) 夕方やっと鍼治療 毎週行っているが根本的に解決するには年齢にも問題があるね(すり減っているので)だましだましがだんだん駄目に 困るから治療を続けます

 予定にはなかったが 走り回って打ち合わせの後 仕事の資料を求めて高松の本屋さんへ ついでに音楽絡みの本を探した 世の中に多少流され気味の私 SACDに未来が薄いと感じているから どうやって高音質データを携帯プレーヤーその他でPCやワイヤレス再生し 良い音を聴いてもらうかがサヌカイトの個性を生かす一つの道と思っている どんどん進んでいて面白い そりゃあオーディオメーカーも生き抜かなきゃ


Trent Dabbs - This Time Tomorrow
 


Trent Dabbs - Take It All In




 音楽評論と言えば私には今野雄二さんが代表だった 昨年亡くなってしまったが 彼の音楽評論集が8月に出た 亡くなった時にもふれたので多くは語りませんが 外も内も美しい本なので紹介します 持論というか好き嫌いというか それはそれで信じて変わらなければその人にとっての正しい道 それを信じた私の道も 自信を持って進むことが出来る 時が解決するなんて 待つばかりではなくやっぱり前進を 後ろを振り返りながらでも で この本を読みながら思い出す事が沢山ありすぎるくらい 青春

201110012.jpg 無限の歓喜 今野雄二音楽評論集
映画評論集も出て欲しい



恍惚です


201107161.jpg 物質的恍惚  ル・クレジオ (著) 豊崎 光一 (翻訳) 
ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ 2008年のノーベル文学賞受賞

ふりむくと
一人の少年が立っている
彼はハイセイコーが勝つたび
うれしくて
カレーライスを三杯も食べた

ふりむくと
一人の失業者が立っている
彼はハイセイコーの馬券の配当で
病気の妻に
手鏡を買ってやった

ふりむくと
一人の足の悪い車椅子の少女がいる
彼女はテレビのハイセイコーを見て
走ることの美しさを知った

ふりむくと
一人の新聞売り子が立っている
彼の机の引き出しには
ハイセイコーのはずれ馬券が
今も入っている

もう誰も振り向く者はないだろう
うしろには暗い馬小屋があるだけで
そこにはハイセイコーは
もういないのだから

ふりむくなふりむくな うしろには夢がない

ハイセイコーがいなくなっても
すべてのレースは終わるわけじゃない
人生という名の競馬場には
次のレースをまちかまえている百万頭の
名もないハイセイコーの群れが
朝焼けの中で
追い切りをしている地響きが聞こえてくる
 
だが忘れようとしても
眼を閉じると
あのレースが見えてくる
耳をふさぐと
あの日の喝采の音が
聞こえてくるのだ


 まったく関係ないと思われる寺山修司の「さらばハイセイコー」である 短くしていることを許して欲しい なぜクレジオの本を紹介するのに寺山なのか 私が寺山修司を好きだったのは これまでのブログの中でも書いたりしている 実はクレジオを知ったのは 寺山の対話集「地平線のパロール」 の中である (スペイン・バルセロナにおける寺山修司とフランス ヌーボーロマンの作家ル・クレジオとの対話「事物のフォークロア」から始まっているのだ) そのうち寺山修司の事もブログに載せよう(私にとっては重い課題 青春の苦悩に近い) 寺山は47歳で死んでいる・・・大脱線おしまい

 クレジオの本は確かに難しいが読みやすい(好みの問題) 流れるようであり 語りかける力を感じる この本はエッセイ集だからよけいに直接性を感じるし情景が浮かびやすく楽しい? クレジオの若い頃の作品だが 広い視野から繊細な感覚で自然への畏敬の念を綴る
「ぼくが生まれていなかったとき 世界は見棄てられていた ぼくが死んでしまうとき 世界は見棄てられてしまうだろう そしてぼくが生きているとき 世界は見棄てられている」 -- ル・クレジオ「物質的恍惚」 生以前の虚無と以後の虚無の表現    

 死が生の完遂であり 生に形と価値を与えるものであり 生の円環を閉じるものであるのと同様に 沈黙は言語と意識との至高の到達である ひとが言う あるいは書くすべてのこと 知っているすべてのことは そのために まさにそのためにあるのだ・・・沈黙のために

 私にクレジオを深く語ることは出来ない 「物質的恍惚」は 400ページを超えるがどこから読んでも大丈夫 もちろんすべてに頷けるわけではないが 気楽に巨匠の感覚に触れることが出来る 詩のように観て読んで

「ふりむくなふりむくな うしろには夢がない」 って良い言葉だと思いませんか また寺山
じゃあクレジオは

「ぼくは死んでいる 生きている 死んでいる 生きている 何百回も死に 同時に生きている」
「人間の可能性の数々には限りがない だが彼の不可能性 彼の大いなる 宿命的な不可能性 このほうは 唯一無二である」
「ぼくがいようが ぼくぬきであろうが 世界は綿密であり 何一つとしてそこには不足していない」
「哲学は それがちょっと祈りのようなものでないかぎり ぼくには興味がない」


陰鬱


201107082.jpg 六号病棟・退屈な話(他5篇) チェーホフ (著) 松下 裕 (翻訳) 


 面白く読んだので私にしては長い紹介文を書いたがエラーが生じて保存できず復活も出来ず まさにこの本のような心境になった 人生こんなモノだよ と 半分くらいになりました

 暗い暗い 今頃どうしてチェーホフ ロシア文学ならトルストイやドストエフスキーだが 本屋さんで手に取ってしまったから読んでみたが失礼ながら面白かった 言葉が難しくないし 短編中編だから飽きないし いっきに読んでしまったが 後味は良くない モスクワ大学医学部卒業の彼らしく医者医学関係のお話ばかり ハッピーエンドじゃない 蟹工船を思い出したりして でも良い文学作品だしお薦めかなあ

 「退屈な話」 賢く名声も得た老教授が味わう日常で味わう人生の敗北感 衰えていく自分 死を身近に感じた頃 自分の周りから人が離れていく孤独 でも自分は変われない無力感 なんのために生きるのか 「かつては金だけを軽蔑した ところが今は悪い感情を抱くのは金に対してではなく まるで彼らに罪があるように金持に対してなんだ かつては暴力と専横を憎んだが 今は暴力を用いる人びとを 罪があるのは彼らだけで 互いに育てあうことのできないわれわれみんなではないかのように 憎んでいる これは何を意味するか?」 私もそうだけど自分では判っていてもなかなか人間変われないよ でもそれだからだめとも言えないし 常に謙虚であれと言い聞かせる(反省する)くらいで

「六号病棟」 悲惨な話でこれは辛い 無気力無秩序な病院に赴任した院長が やがて崩れていき 自分の世界に入り込み周囲との壁をつくって孤独になっていく 六行病棟という精神科に入っているインテリ患者との交流から 精神病の疑いをかけられ悲劇的な結末を迎える話 読んでいても憂鬱になる 「・・・よくよく考えてみれば あなたもおわかりになるでしょうよ われわれを落ち着かせない外部のことは どれもこれも取るに足りないものだってことがね 必要なのは 人生の理解に努めることですが その中にこそ 真の幸福があるのですからね」 なんだろう もちろんホラー映画を見て「なんでこんなもの」と思うのとは違う 人生訓を認識できたらよいのだろうが 文字から掴めきれない

 チェーホフは30歳前後にこの2編を書いている 死を見つめて人生の意味を説いているのかもしれないし 医者の自分への戒めか そう言えばLUZAZULのゲストピアニストだった阿部篤志さんが池袋芸術劇場での「チェーホフ」音楽監督していましたね 昨年が生誕150周年 だから頭のどこかに残っていて この本買ったのかな・・・


      

 

深き淵よりの嘆息

 

201107071.jpg 岩波文庫 ド・クインシー (著) 野島 秀勝 (翻訳)

 

 連日の本です 明日への糧ですから必要なのですが・・・

 この本「阿片常用者の告白」の続編だけど すべてに関連しているわけでもない 幼い頃の優しい「姉の死」を経験した傷 癒えずにそのままひきずりながら それが彼の思考の揺るがないベースにあり 作家として生きている自分 女性への感覚 阿片を常用するようになってからは心に納めきれない爆発的な悪夢が現れる 美しい文体で詩的に読むことは出来るが 注釈も多く分からないところだらけでもある 残念ながらフロイトと比されるようなモノに 私が立ち向かえる知識というか理解出来るわけがない 阿片でも知っていれば別だろうけど あり得ないので 注釈がこれまで多いと難しい難しい 余韻は残るが理解はしていないというか まあ読んでいればどこかで・・・でもこのような文体は面白い  

 意外なところでこの本を知っている人がいるとすれば 傑作ホラー映画「サスペリア」の原作(いやいやせいぜいモチーフ)となったことか サスペリアがホラーかどうかは言及しないようにするが ドイツのバレエ名門校に入学した若い娘を襲う恐怖 残酷なシーンもふんだんにあるが精神に訴えかける怖さ 忘れられません 音楽的にはサーカム・サウンド・システムという再生装置で低音がずずずっと(音楽家誰だったかなあ) 音が回ったりおもしろい ヒロインのジェシカ・ハーパーがぴったり役にはまリング・・・脱線

 本を読んで自分の実になるのはなかなか難しい 今日も音楽の話で大いに盛り上がったが 本の話で盛り上がったためしがない 本は読むが(見るようなモノ) 細かく分析できる技量いや能力と経験は無い 音楽を紹介する方が人に気持ちを伝えられる気もする

    

音楽と音楽家

 

201107061.jpg  岩波文庫  シューマン (著) 吉田 秀和 (翻訳)

 

 音ばかり紹介してちょっと持続する気力に欠けてきたので 紀伊国屋に行って文庫本を10冊ほど購入 何から読もうかな と 結局音楽がらみでこれから

 必然的に音楽家と呼ばれる人たちとのお付き合いもだんだん増えてきて 芸術家の考え方とか精神構造とか 私と違うモノを感じながら受け入れたり反発したり まさに体験しているのですが お話しするにも音楽を聴いているだけではすまない部分が多くあり 本もそれなりに読んでお勉強です 以前は読んだ本も紹介していましたが久しぶりにちょいと気分転換

 「シューマン好きですね」と言われたりするので 「ぼちぼちでんな」と答える私 ロベルト・シューマンの書いたこの本(音楽批評誌への評論集) ベートーベンの時代の音楽好きなら楽しくて仕方がないでしょう 言葉が堅いけどそれも味です(ドイツっぽさ) 作曲家としてではなく音楽評論家としての才能が満載されていて 知りたい知識と音楽家の考え方と両方楽しめる 音楽家(広い意味での)の内向的な感性 独自性 不安感と自己賞賛 気質へのアプローチが心理学者シューマンの音楽への思いを著している ベートーベンの死を悔やみ シューベルトを称え リストへの思い入れ ショパンの出現を喜び ブラームスの登場を喜び10年ぶりに筆を取って安心する 批評しながらも 音楽家を激励し勉強しなさいと言い 批評家を批評し 出てくる音楽家の名前を見るだけでも何とも凄い時代であります

 新しくて 大胆な旋律をみつけなければならぬ 人間の心の奥深くへ光を送ること-これが芸術家の使命である!

 芸術は金持ちになるためにあるのではない 一生懸命にますます偉大な芸術家になりたまえ ほかのことは自然にやってくる

 勉強に終わりはない 

 ささっと読んで気になるところ覚えたいところをもう一度二度 どこから読んでも楽しいが ますますシューマンが好きになった 音楽を聴いて人柄が判るかと言えば 簡単でもなく やはり本を読んで何となく判るような気がしながら聴くのも楽しい それで得た感覚は正しいのか 作曲家が伝えたかったことなのかそれは別物として

 

図書館にて

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 朝はとても寒かったが昼近くにはぽかぽか 坂出の瀬戸大橋記念図書館にてくてく(マンションを出たらすぐの所ですが) サヌカイトや坂出金山あたりの歴史を綴った本でもないかなあと探して3冊借りました 手書きの郷土歴史家本 教育参考資料としてのサヌカイトについての細い本(前田仁の名前やサヌカイト楽器写真もあり) 金山の隣の城山を朝鮮の影響ある政権ととらえ 坂出に伝わる悪魚退治と絡ませ説いている本 楽しく読ませてもらった たしかにもっともっと勉強せねば

 

201102131.jpg Gold in the Shadow / William Fitzsimmons

 

 前作「The Sparrow and the Crow」を紹介した時にルックスと歌の嬉しいギャップにびっくり と書いたウィリアム・フィッシモンズ君 少し見た目も良くなって洗練されてしまいました(ほんの少しね) 歌は相変わらず優しく包んでくれるような声 心にしみいる新曲 CDは3月リリースだけど USiTuneでシングルをみつけてダウンロード youtubeにも出ていましたので乗せてみました 人柄もこんな感じなのか 関係ないけどどれくらい売れて どれくらい人気があるのかな

  

William Fitzsimmons - The Tide Pulls from the Moon

 

  今日は夜になって顔が熱い感じでぞんぞん背中が気持ち悪い感覚 風邪かなあと思って体温をはかると35.2度 あれれもう一度はかると35.0度 私らしい低体温 でも低すぎるのでしばらく経ってはかったら34.8度 もうやめて風呂で温まって寝ることにしよう 冷血人間だから仕方がない 恐い恐い

 

 

悩み

20110204.jpg 「死にゆく人たちと共にいて」マリー・ド・エヌゼル 西岡美登利訳

 

 ぽかぽかした一日 悩み事はいろいろ多いようで 本日はたくさんの人が訪ねて来てくれて考えさせられることも多かった 相変わらず時間が無くて失礼したかもしれない 私にも悩みはあるぞ でも充実と考えよう

 次から次へと死を迎える人の状況が出てくる フランスの緩和ケアで働く著者(ミッテラン大統領に信頼されていたという)をとりまく人間模様 読んで楽しい本ではない しかし優しい気持ちにさせてくれるのは 病院で働く人々の患者さんに対する対応が目に見えるような文章の優しさ 私は「死」というものを自分なりに解釈している(ここで語るものではないが) 何故かこの本の最後の死は美しく見えてくる が この本を私にくれたのは90歳を超えた方 もっともっと長生きして頂きたい 願い

 本の中で 死を目前にした人たちに自分の人生は良かったと思わせてくれる著者の接し方に 普通に生きている私への教えがあった 感謝 自分の状況がどうあれ 人に優しくできるのは 生まれ持ったもの 訓練 やはりすばらしい人に出会って勉強していくものです 自分が言ってもらえない分 言って上げようたくさんの「あなたが好き」と

  

ホスピスの語源
ラテン語のhospesに由来する
hospes=(賓)客/あるじ(主人)役/見知らぬ人
hospitium=客を厚遇すること 丁重なこと/接待 饗応/宿
「見知らぬ人を 手厚くもてなすこと」  

  

歌は希望に満ちて

Maureen Mcgovern - "The Morning After" from the Poseidon Adventure

 

 高校時代に見に行って良かったなあと思った 思い出のパニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」その主題歌 モーリン・マクガバンが歌って全米ナンバーワンになったこの曲「モーニング・アフター」 意味的には「朝は必ずやってくるわ」 彼女のデビュー曲 当時彼女は20世紀レコード社長秘書から転身して成功したと有名になった 顔を覚えていないのは残念だけど ひらひらしたドレスで歌っていた姿が記憶にある 頑張ったなら報われる 希望にあふれている  

 この曲がヒットした1973年と言えば カーリー・サイモン :うつろな愛 ロバータ・フラック :やさしく歌って  カーペンターズ :イエスタデイ・ワンス・モアなんかだなあ ラジオからよく流れていた 全て美しいメロディが素晴らしい 

 

There got to be a morning after
If we can hold on through the night
We have a chance to find the sunshine
Let's keeping on looking for the light

Oh, can't you see the morning after?
It's waiting right outside the storm
Why don't we cross the bridge together
And find a place that's safe and warm

It's not too late,we should be giving
Only with love can we climb
It's not too late, not while we're living
Let's put our hands out in time

There's got to be a morning after
We're moving closer to the shore
I know we'll be there by tomorrow
And we'll escape the darkness
We won't be searching anymore

 

 

 

昔々

20110203.jpg 忘れ去られた日本人 宮本常一

 

 宮本さんはもっとも尊敬されている民族学者の一人 戦前戦後に訪ねた土地・日本の古い田舎生活を紹介している本 高知や愛媛も出てくるから親しみもありです この「忘れ去られた日本人」に書かれている村の写真や紀行本が何冊も出ているから重要さ加減も判るというもの 若い人が読めば考えられない原始的とも云える「都会とあまりにも違う」生活かもしれないが 私が小さい頃も「忘れ去られている」時代 滅多に隣の村には行かなかったし 牛が田を耕し 馬が荷車を牽いたり サトウキビをかじったり・・・そういう時代 あっという間に読んでしまった 古い街の姿を集めた写真集も好きだから 歴史と言うより風土記的 日本人の身体に染みついていると信じている(今の時代への反感を)様なことが綴られていると 知識と言うより「そうだったんだよね」と頷きながら 宮本さんは対象の村を訪ね 観察・資料収集・分析に自分のスタイルを確立して研究している 無文字社会の伝承を取り上げているが宮本さんの様な人により文字として伝承される     

 今日の曲AORで民俗学には全く関係ないが 約3年前に亡くなったポール・デイビスのヒット曲 たまたま入ったコーヒーショップで流れていたのでご紹介 別に好きだったわけではありません 大学時代にヒットしたねえ 「I GO CRAZY」なんて曲もありました それだけしか思い出さないけど 今は冷めてしまった二人が昔を思い出す内容です うーん Cool Night by Paul Davis

 

 

 

熟読

201101151.jpg  悲しき熱帯2 /  レヴィ=ストロース 著 川田順造 訳

 

 久しぶりに本を読む喜びがわいてきた一冊 一気に読むことは出来ないが 楽しみながら考えながら 名著とはこういう本で 12年を費やしたという翻訳のすばらしさが さらに本の品格を後押しさせていると思う

 ストロースは20世紀を代表する思想家で「構造主義」の祖(2009年11月4日 100歳死去) で 構造主義とは 社会と文化の根底にあり それを営む当人たちにも明確に自覚されていない構造を取り出す分析方法が構造主義である レヴィ=ストロースの分析は 私たちの自覚的な意識や主体性に いわば無意識の秩序が先行していることを示している・・・ストロースはマルクスに傾倒し パリ大学で法学 ソルボンヌで文学 ルソーを愛読し 哲学の教員資格を取った後 ブラジル・サンパウロ大学に 2年間の生活の中で先住民部族を訪ね さらにフランス帰国後にブラジルへの調査隊として6ヶ月広域調査 ユダヤ系であったため大戦中は苦労をしたようである その後は割愛

 実は1は読んでいないのだ それでも言葉の巧みな文学的な探検旅行記として 文化人類学的観察のすばらしさ 1939年代のブラジル奥地の原始的な生活から人間の根源と本質を語り 文明批判も さらには原始的社会が文明社会の未来像を提示しているとも 女性 民族 政治 特に 首長の言われる男が何故首長になるかという考察 「他の人間とははちがって特権そのものを愛好し 責任を持つことに惹きつけられ そして公の仕事の負担そのものが報酬であるような人間がいるからである」 厳しい劣悪な環境の中で調査する中で彼が体験し考察する様々な言葉に うなずきながら イスラムの精神解説に納得し こりゃ1も読まなきゃなあ そして翻訳家川田さんの「ブラジルの記憶  悲しき熱帯は今」もね     

 

201101152.jpg Mais / Marisa Monte  1991

 

 ブラジルに関する本だから無理矢理ブラジルのカントリーフォークとします マリーザ・モンチは1967年リオ生まれ マリア・カラスからローマへ音楽留学中にビリー・ホリディを愛し ブラジルに帰国しポピュラー音楽の道を・・・知ってるCD彼女の2枚目 これっきりなのですみません 日本では知られていない? どうも素直な歌い方ではないのでとっつきにくいところもあるが 巧いのでしょうしオリジナリティもある 私の知識ではオリジナルなのかカヴァーなのかも判らない有様だけど6曲目「Borboleta」は良いですねえ でも紹介するのは Não é Fácil.

 

 

良い本と良い音楽に巡り会うのは幸せです

 

 

やり残し

201101141.jpg ルリボシカミキリの青 福岡伸一

 

 青山学院大学教授の知的でスタイリッシュなエッセイ集?週刊文春に連載されているものをまとめたもの 著者は「福岡ハカセ」という名前で出てきて 軽すぎず重すぎず偉ぶらず 社会問題も多く登場し知識も増えて ほうっと思わせる洒落た文章

 「コラーゲンの正体」 美容と健康のために いわゆる「コラーゲン食品」を食べることは 実は美容と健康のためにほとんど何の意味もない・・・・・コラーゲンたっぷりの高価なフカヒレを食べた翌朝 お肌がぷりぷりになったと感じる者は幸いである おしなべて機能性食品と呼ばれる物の多くは「きのせい食品」である(巧い)

 その他「鳩山議員と蝶の美しさ」「ものづくりの未来」「 狂牛病は終わっていない」「卑弥呼の墓」「なつかしさとはなにか」等々 堪能 今日アマゾンから10冊本が届いて 一番気楽そうな本をとった次第 夕方小豆島を往復する船の中で読んでしまった

 

Sade / The Sweetest Taboo

 

 シャーデーは言うことなしです 大好き でも前作がいまいちだったので この頃のような感じに戻ってくれないかなあ 今日のお題 やり残しは 朝からバタバタ走り回ってたくさんの事したけど やり残したことが3つあった じぶんではがんばったつもりなんだけど 残念 ものすごく眠たいので お先に失礼します でも良いこともあって報われた一日でした 感謝 

You give me the sweetest taboo
That's why I'm in love with you
You give me the sweetest taboo
Sometimes I think
You're just too good for me

I'd do anything for you
I'd stand out in the rain
Anything you what me to do
Don't let it slip away

There's a quiet storm
And it never felt this good before
There's a quiet storm
I think it's you
There's a quiet storm
And I never felt this hot before
Giving me something that's taboo

You give me the sweetest taboo
That's why I'm in love with you
You give me, you're giving me
The sweetest taboo
Too good for me

You've got the biggest heart
Sometimes I think
You're just too good for me
Every day is Christmas
And every night is New Year's Eve

Will you keep on loving me
Will you keep on, will you keep on
Bringing out the best in me

 

今更とは

201101132.jpg 百年の愚行 普及版

 

 突然こんな本を 写真集は好きだが 好きな写真ははっきりしているし 写真集を買おうと思えば「感想を予定されているような」写真集は買わない この本は当然意図を持って作られているから買わない範疇になる が すこぶる特別であるから見ておく必要もある 性格がひねているが 自分はそれほど悪人に思いたくない防御的精神を発揮しつつ 息を呑む写真の連続 写真という真実 多くの人は人類の(自分は少し外れた位置にいる)愚かさを見 21世紀への反省を誓うだろう 自分もそれに寄与したいと思うに違いない 私も破壊に大きく荷担した愚かな人間として責任は感じるが その愚行は全て悪いわけでもなく 自然はそれほどヤワでもない 地球の叫びってなに 太陽活動の大きなサイクルのなかでもっと大きなスケールで動いているのではないだろうか これとは反対の写真集だって出来るだろう 私は この本を見て反省だけしている人間ではない しかし このままでは人類はリセットされると思っている 自分に出来ることは何か 頼りなくも生きている (判ったような判っていないような です)

 

 音楽は軽く行きましょうよ で Michael McDonald - What a Fool Believes 1985 マイケル・マクドナルドの説明はしませんヨン

 

 

 今日 先日紹介した高松常磐街のグランドファーザーズに行った 渋谷と同じく1曲毎にジャケットを飾って 70年代を中心とした音楽がかかっていく マイケル・マクドナルドのこの曲もかかった 違うのは客の数 私は静かに良い曲がかかる高松の店が好きだ JBL4425(たぶん)がクリアーな音を出しているし 私の2歳上のマスターは渋谷に学生時代居たそうで 私と重なるなあなどと 行ったコンサートの話とか(1976年来日イーグルスは同じ会場 武道館にいたらしい) そんなこんなでギムレット3杯 酔った また行こう 

 

 

最後の楽園

201101051.jpg Michio's Northern Dreams〈3〉 星野 道夫

混沌とした時代の中で、

人間が抱えるさまざまな問題をつきつめてゆくと、

私たちはある無力感におそわれる

それは正しいひとつの答えが見つからないからである。

が、こうも思うのだ。

正しい答えなど初めから存在しないのだと・・・・・・。

そう考えると少しホッとする。

正しい答を出さなくてもよいというのは、なぜかホッとするものだ。

しかし、正しい答えは見つからなくとも、その時代、時代で、

より良い方向を模索してゆく責任はあるのだ。

 

壮大なアラスカの自然は、

結局人間もその秩序の中にいつか帰ってゆくという、

あたり前のことを語りかけてくる。

 

 1996年テレビの取材でカムチャッカに滞在中 クマに襲われ亡くなった写真家・星野道夫さんの写真と言葉を収めたシリーズの第3弾 ビデオはアラスカ出身の歌手ヘイリー・ローレン 

 

 今日 私の言葉はいらない 青い影や枯葉、サマータイム等スタンダードナンバーばかり集めた彼女のCDも良いです

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芸術作品の根源

 いつになく大きな写真がいきなりどーん 写真家BANAZO氏が撮影した栗林公園 長谷川章デジタル掛け軸風景 23日に中央の建物入り口で小松玲子さんが演奏 この写真は最終日25日のモノ たくさんの写真の中から一枚掲載させていただきます 投影された映像より蒼い光の流れに芸術性を感じた これは私の判断 BANAZO氏なら違う写真を選ぶだろうし ブログを見てくれている人も当然違うだろう これが芸術ですが ついでに写真の方が実際より芸術的である 難しいことです 撮影された25日 それはそれは寒い日で人も少なく撮影には良かったのかもしれませんね

 

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 最近私の心に残ったある言葉 それは霊感の強い人達が私に伝え語りかける 私の行動・考え方への教えでも賛美でも警鐘でもない 本を読んで印象的だった言葉でもない ある人が私にメールで送ってきた「散漫」と「本質」という言葉だ つまり今私がやっていることは「散漫」に見え 「本質」を見つめていないと云うこと 今の私に対するかなりな否定ではあるが ここで腹を立ててはいけない すぐに反省する私は(笑顔で 素直だ) よーく考え込んでしまう ちょっとうなだれ気味に

 「散漫」は良く判る 人に言われなくても気づいている 仕事もいくつかの関連性のない職種で走り廻り サヌカイトは「命をかけている」と言いながら 本格的なコンサートから小さなライブを制作し CDを録音したり編集したり 楽器も新しい楽器を考えたり 今ある楽器を改良したり イベントを引き受けたと思ったら 石器だったサヌカイトの考古学 さらにジオパークの勉強をしたり 金山自体の研究も いったい何がしたいのか 散漫に見えるのが普通かも バタバタも甚だしいから人に迷惑もかける 何となくボチボチこなしていくところがまた悪い いつも時間なく走っている姿は滑稽である こんな人間じゃあなかったのになあ と

 「本質」は 確かに散漫なら逆の方向に存在する サヌカイトに対する姿勢を変えなさいと云うことなのか 何かを捨てなさい じっくり考えなさいと云うのか かなり前から 私のサヌカイトに対する考え方に全くブレはなく 目指す方向も自分が生きている間にやっておきたいことは決まっているから そこへの到達方法がおかしい(のではないか) ヒントが欲しい 哲学書か 誰かの生き様を・・・

 「われわれが経験しえる最も美しいものは神秘です それはすべての真の芸術と真の科学の源なのです」(アルバート・アインシュタイン) 人は この世の生命についてその本質を知りたいと求めても ある限界に至る その先にあるであろうものは 神秘 さらに生命の死についても同様に その先にある生命の本質に至ることは通常では困難 我々が何らかの形で わずかでもその神秘を知ったときが本質発見の機会になるのではないか 天才であり科学の追究者としてのアインシュタインは 宇宙の法則の中に神の存在をみたようで しかし 神秘と思った時点で本質の追究はどうなる

 宗教的になるわけでもなく 本質を追求すると云うことは 研ぎ澄まされていくと云うことで「俗な」ことから離れていくことが必要にならないだろうか  サヌカイトの音を追求することで得られる事はなんだろう 他の楽器(物質と云っても良い)には出せない響きを得ることか もっとも追求の方法(道)も大事なことならそのものがまだ解っていない 試行錯誤で良いのか 問いかけるけど答えは帰ってきません 回り道でもかまわない 目指す山が違えばそれは困ったこと 助けてくれーい   

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Mハイデッカーです 当然難しい でも彼の本の中ではわかりやすい 私は解りません はい

抜粋 

 芸術作品の根源への問いは芸術の本質への問いとな る けれども芸術はそもそも存在するのかそしてそれはどのよ うに存在するのか という決定は未決のままにせざるをえないのだから われわ れは芸術の本質を 芸術が疑いなく現実的に支配しているところに見出すことを 試みよう 芸術は芸術-作品の内においてその本質を発揮している しかし 芸術の作品と は何であるのか そしてそれはどのようにあるのか

 芸術とは何であるかということは 作品から取り出されるべきである 作品とは何である かということを われわれはただ芸術の本質からのみ経験することができる 誰もが容易に気づくことだが われわれは堂々めぐりをしている ありきたりの常識は この循環が論理学に違反しているという理由で それを回避するように要求する 芸術とは何であるかということは 眼前にあるさまざまな芸術作品の比較考察を通じて芸術作品から芸術作品に即して引き出されうる と人々は思っている しかし われわれがあらかじめ芸術とは何であるかを知らないなら そのような考察のために実際にさまざまな芸術作品を基礎に置くことに どうしてわれわれは自信をもてるだろうか しかし 芸術の本質は眼前のさまざまの芸術作品の特徴を寄せ集めることによっては獲得されえないが それと同様に 芸術の本質はより高次の諸概念からの導出によっても獲得されえない というのは このような導出も われわれが前もって芸術作品と見なすものをまさに芸術作品として われわれに提示するのに十分でなければならないあの諸規定を 前もってすでに洞察しているからである しかし 眼前のものからさまざまの作品を寄せ集めることも 根本諸命題から導出することも ここでは同等の仕方で不可能であり それらが実行されるなら 自己欺隔である

 したがって、われわれは堂々めぐりを遂行しなければならない このことは窮余の措置ではないし また欠陥でもない この道に足を踏み入れることは強さなのであり そして 思索が手仕事であるとすれば この道にとどまることは思索の祝祭なのである 作品から芸術への主要な歩みが 芸術から作品への歩みとして循環であるというだけではない われわれが試みる個々の歩みのいずれもがこの円周をめぐるのである 作品の内で現実的に支配している芸術の その本質を見出すために われわれは現実の作品へと赴き 作品に対しそれが何であるか そしてどのようにあるのかを問おう

 

 この話は続きにて あまりに面倒な内容だったので 音楽はかっこいいトリオで 二つの言葉をくれた方へのプレゼントでやんす Harvey Mason好きだったなあ 

 

んじゃ

日本人の起源 by 埴原和郎

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 はにわら さんと読む 「日本人はどこからきたのか」というテーマの本はたくさんあって 邪馬台国に並ぶ日本における考古学上の解決しない大命題  日本人のルーツはどこにあるのか 長い間追い求めてきたロマンあふれる疑問 私には持論はなく知識もないが よく考えれば中学時代から本は読んでいたので ミトコンドリアDNAなんてプランクトンのような言葉も覚えて 父親は南方系の顔かなあ(彫りが深く鼻が高いインド人みたい) 母親の顔は北の方かなあ 人種的な話しになるとヒステリックなったりするから あまりテレビなんかでは取り上げないか 縄文人と弥生人の二重まぶたと一重まぶたくらいで 抑えておきましょう 酒豪マップから考える日本人のルーツなら可愛い 

 で この本 日本の旧石器時代人のルーツは(縄文人も)中国南部から東南アジアにかけての地域で 気候が冷涼化するにつれて北東アジアの集団が南下して来た これは縄文末期から始まったが弥生時代になって急に増加し そして混血していったのだが 混血が僅かしか起こらなかった北海道と南西諸島に縄文人の特徴をが残ることになった というもの 楽しい本でもないが ただし色々な角度から説明してくれていて読んでいて飽きない 冒頭出てくる北京原人や明石原人には昔から胸をときめかせたから

 ある ご夫婦で経営されているイタリアンにて食事 は~いみなさんウェルカムというお店ではなく(ここで紹介してもしかたがない)常連さんによる予約でおしまい 一日多くても6名程度のお客さんらしい(ランチは安くしているらしい) 巨大ボルチーニ茸のグリル 超アルデンテうにスパ メインは牛カツレツ お店の雰囲気から応対まで 私が食べてるいつものイタリアンではない 好きな人は好きダメな人はダメ(何も求めるかだね) 典型的なお店 ここの美味しさを十分堪能できるには 気に入ってもらうのが一番早い? 当然美味しい料理ばかりでしたが 大人しい私がそこにいました     


100814.jpg 訳 寺田和夫

 大衆の反逆には3種類の翻訳があるが これはラテンアメリカ考古学で有名な寺田さんのもの(比較したわけではない) 冒頭の2002年に書かれた 佐々木孝さんによる「今日的オルテガ」に助けられ(これだけでも十分) 読破 佐々木さんはドン・キホーテで有名 この本を手にとったのは本の題に依る 参議院選挙の結果は首相の「消費税発言」が影響したとされ 結局この手の問題は選挙の後に顔を出さないとダメというのでは 選挙は選挙 政治は正しく行われず「大衆」を大人しくさせ怒らせず 何となく行われることになる 消費税で惨敗した自民党の過去を「反省」しているだけだから 「選挙の前に言うことはない」と言う民主党の議員さん達も情けない話しであり まったく結果のみ見ている 「大衆」は消費税を持ち出したから票を入れないのだろうか・・・収入の倍の生活をしている実感のない国民をどう導くのか 大衆の意識とはマスコミに作られるもので 実態は何 で この本

 スペインの哲学者オルテガ(1883-1955)の1929年に書かれた理論を 現代の政治家がしゃべったら即 「大衆攻撃者」と烙印を押され 政治家失格と云うことになるのだろう 世の中が何も考えない(自分では考えていると思っている)大衆によって(選挙のために気にしすぎて)動かされている事への批判 (私も大衆なのだが 少なくとも謙虚さはもちあわせていると信じている) 第一次世界大戦後に書かれ古くささもあるが現在の状況に当てはまるこの本が再び読まれても不思議ではない 「貴族主義」あるいは 現在なら「エリート主義」として批判されることは確か しかし彼の大衆や貴族の定義は私が当初考えた事とは少し違う事も認識する必要がある(読めば解る) 単純にマスコミを信じ 権力をこきおろせば民主主義が成立するという感覚を持たないためにも ディベートを宣伝するわけでもないが 理性的に考え語る習慣を身につける勉強を学生時代にするべきだろう いやこういった本を高校時代か大学時代に是非読んでみることを薦める先生が多数出現してくれたらありがたい 書かれている内容に諸手を挙げて賛成と言うつもりもない 解ってないなこいつと思うところも ヨーロッパ中心絶対主義的だと感じるところも多々ある それはこちらが解って読めばよい まあ「シーシェパードの正体」を読むよりは素直になれる

 今日は終戦記念日 最近は特別な日という感覚が薄れてきている気もする 私個人の問題かもしれない あまりテレビを見ないからかな 12時といえば 88cafeに着いてランチを注文しようとしている時間だった 反省 風化という言葉を受け止める  

臓器移植に関する思い

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 現在の日本の脳死判定基準である「竹内基準」を作られた本人の一冊は知識として と 最後の一人になっても徹底的な批判を浴びせると公言する著者による臓器移植に「不安」を覚える一冊 重い本である

 ある臓器移植によって様々な報道がされ色々な意見がいまめぐっている 私も脳死状態になれば 使える臓器があれば使って欲しいが(使えないかな) 脳死がどうのこうの 死は何か 移植をどう考えるかについて私の意見ははっきりしていて 「脳死は死ではない でも ほぼ100%自分は植物状態になるなら自分の臓器によって助かる人にその命を分けてさし上げる」 魂だけになるのがちょっと早い それだけなのだ たまには家族で話しをして 本を読んだり勉強して その気になれば登録すればよい それも個人の自由 ただ子供の場合 回復する確率の問題で納得できないところがあるのが事実 自分でもそうだろう(正直無理かなと思う) 議論されて然るべきで 賛否両論医学的結論も出ない 悩み続ける国であって欲しい それを決めるのが「政治的決断」なのなら なやんでなやんで良い政治家を選ばなきゃ

 年末まで139日か 既に226日が過ぎた 早いモノだ ブログもぼちぼち書いている程度で申し訳ない 見てくださる方に心配をかけないくらいに更新する ここのところCDや本を買う数が減っている 時間もないから仕方がないかなあ 夜ベッドに入って本を読もうとするが2ページでダウン ははは 情けなし お盆に入っているが休みもないし 混んでるから旅行にも行かず ほとんどけいの里で片付けしてます 一人で音楽聴いて幸せなのだ


80年代日本ロック

100812.jpg レコードコレクターズ9月号

 ベスト100とか書いてあるからつい手にとって 買ってから中を見ても知っているアルバムが少ない 買ったのなんて全然無い よーく見ると80年代 そーかそりゃ知らないわ 日本の音楽全く聴いていなかったから で 大瀧詠一のロングバケーション と山下達郎のメロディーズ その程度 アルバムの紹介文を読んでも買いたい気持ちにならなかったぞい 残念 思い出がないんだなあ

 この雑誌読んでて バッド・カンパニーが10月にオリジナルメンバーで35年ぶりの来日だって オリジナルメンバーとはいっても ベーシストのボズ・バレルが2006年に亡くなっているので 厳密な意味ではオリジナルではない ポール・ロジャースとサイモン・カークそしてミック・ラルフスの3人が再び集まったということで うれしい限り

 ルース・アズールの色々を話しながら 今日は久しぶりに高松の串揚げやサン「とんぼ」に 開店当時を思い出すし 歳とったなあって感じて でも 相変わらず美味しくて満員 岩蠣や鱧の天ぷらもあって 夏にはビールがよくあう 帰る前にすぐ近くのヴァンドュヴァンダンジェへ クロードデュガのジュブレシャンベルタン99とヴァランドロー01の2杯 ヴァランドローは以前より甘く柔らかく変身していた 街はあまり混んでなくて代行もすぐ来て 体調悪かったから早く帰った 

まごころ説法 / 高田好胤

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 かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心 ひろくひろくもっとひろく これが般若心経 空の心でございます
 
 最小の効果のために最大の努力を惜しまない 人間精神の尊さを忘れては 本当の世の中の幸せや 進歩 発展はありません
 
 日本人の宗教的土壌を一言で言えといわれたら それは「お陰様」です と答えます こんなに温かい宗教的土壌 そして言葉をいただいている国民は他にいないのではないでしょうか 「佛法は無我にて候」と申します

 以上のような しみじみ心に広がる言葉がたくさんあって ありがたいことです 本日 私の心が乱れているので事務所の書棚から この本を取り出した 1991年薬師寺でサヌカイト供音式が行われた当時 高田さんは管主であられた 歴史上最も有名なお坊さんの一人であろう 1998年にお亡くなりになられたが私は残念ながら面識はない 父も母も後任の管主の松久保秀胤さんや その次の安田暎胤さんとも ごく親しかったから挨拶でもすれば良かったと後悔もするが 私はそういう性格じゃないから仕方がない まごころ説法は1月から12月の各章に分かれ それぞれの月の行事が説法のごとく わかりやすくまとめられている 八月は お盆 について 盆踊りの起源についても書かれているが

 私は夫婦でも親子でも 真実の対話は死に別れた日からこそ生まれると申し上げたい お盆の営みには そのようなこよなき意味合いがございます

 理解理解とたやすくいうけれども 誤解をもって理解だと思い上がっているのが私どもです 恋愛とは美しき誤解である 結婚はさんさんたる理解である

佛法は円い心の教えです
佛法は明るい心の教えです
佛法は清らかなる心の教えです
佛法は静かなる心の教えです
佛法はお陰様なる心の教えです
佛法は無我なる心の教えです
佛法は大慈悲なる心の教えです
佛法は安楽なる心の教えです
   
 今の世の中こそ 名僧が必要 政治家は良くお坊さんのいうことを聞き 心の迷いや汚くなった精神を浄化する お寺に深く関わる人間が言うのもおかしいかな 私の心も上手くまとめられないが 性格って変えられないよねえ 反省して終了 でもこの本良かった 難しくない 私にも解る 優しさが伝わる
 

時間の園丁 by 武満徹

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 夜は雨が降り続き朝も少し肌寒い感じもしたが 夕方事務所にいても汗だくである 今年は「暑いですねえ」としか人と話をしていないかもしれない あまり言わないことにしよう 自然は意地悪をしているのではなく これが「ごく自然」というもの 昭和30年代の本を見たら「最近は異常気象」と書いてあった 結局いつもいつの時代も異常気象なのか

 自然から学ぶことは余りにも多い 自然の(この地球の)記憶の層の 深い 遙かな連なりを見出すのは 私のような者には とても容易なことではないが せめて季節毎の変化の相 その推移を感じ取れる感受性を身につけたい それは 私に 音が語りかけてくれる毀れやすい言葉の表情のいろいろを聴き逃すことがないように 働きかけてくれるだろう

 作曲家武満徹の著作 時間の園丁(ときのえんてい) 園丁とは庭師のことだが 毎日新聞の夕刊に不定期連載されていたエッセイを集めた 武満徹最後の本 柔らかな文章で 作曲と云うことの難しさや絶望感も解るが 毎日追いまくられて生活している私はに 「ストップ!」と言われているようである 自然に耳を傾け 心を自由にすれば 何かが感じられると教えられ 現代はそれが徐々に無くなっているのだから 音楽はそれらを救えるか(優秀な人達頼むよ) あるいはSACDが衰退するように圧縮された音楽だけが残るのか そんなこと無いよと思うけど 企業が作らなくなってきているのだから方向はマイナス ソニーさん頼むよね

 

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