大好きな

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 前回秋葉原に行ったとき見つけていただ バーガーキング 訊いたら日本にもう23店舗もあるとか かつて西武系で数店舗出来たときも嬉しかったがすぐに撤退(したのだと思う) 羽田空港に着いたときからめちゃくちゃおなかが空いていたが「がまん」 秋葉原のCDプレス屋さんに注文に行くのだが 歩いて1分のところにバーガーキングはある 注文はDOUBLE WHOPPER これにコーヒーで710円 これがでかい でもさーっと食べられる嬉しさ バーガーキングの一番の違いは ビーフを鉄板ではなく直火網で焼いているということ 肉の味が独特 27年前ハワイに行ったとき たくさん食べた 好きになって海外では色々なところでも食べた ベルリンでも食べた記憶があるが・・・夢かも とにかく幸せだ 一人でかぶりつく 手がべちゃべちゃ 口もべちゃべちゃ また来よう

萬法帰一

 ある僧が趙州に問うた「萬法は一に帰す 一何れの処にか帰す」 萬法とは諸法とも云い 一切の存在を指す言葉である 一切の存在は千差万別で一つとして同じものはない だが本源を求めてゆくと 一切の存在は結局絶対である「一」に帰着してしまう この絶対の「一」を 道教では「虚無の大道」 儒教で「大極」 キリスト教で「ゴッド」と名付ける 仏教で「真如」「法性」と云い 禅家で本来の面目とか主人公と云い 絶対の「一」を指して云う その「一」を更に何れの所に帰するのかと尋ねる 天地創造の神は誰かと云うと その返答 太極は無極なり 「即一切一切即」 平等即差別 差別即平等

 萬法が一に帰るならその一つも又萬法に帰る 萬法はそのまま「一」である 一椀の茶に萬斛(まんごく)の味わいを汲み取ることが出来ます 趙州は終わりに「わしは青州で衣を作った 七斤の重さがあった」とさらりと答えた 七斤の重さも 飯を喰うことも 茶を喫することも 寝ることも起きることも一挙手一投足すべてに「一」に帰する 理屈張らぬさりげない境地こそ大切で これに徹すれば 一椀の茶に萬斛の味わいを汲み取ることが出来る あらゆるものが一つにつながり 関わりあって存在しているということ
 
 この問答は 「萬法帰一一帰何處」 「我在青州作一領布衫重七斤」 だけ こねくり回すと理解できるのか それでは「禅」ではないでしょう 自然に受け入れるだけなのか でも私は禅者ではないのです やっぱり解説は少々必要 ちなみに趙州は唐代の僧

 最後に今朝 ジャイアンツの木村拓也コーチがお亡くなりになりました とっても好きな選手だった ご冥福をお祈りいたします だんだん顔が良くなっていった人だと思う 私より15歳も若い 早い 私はバタバタ人間です ある後悔から そういう事があってもまた後悔しないために いつもいつも走り回っています だから時間が惜しい 焦るから時間の使い方がまずかったりする イライラもする(禅人ではなく出来れば善人で) くだらないことに時間を使いたくない でも そのくだらない(と思ってしまう)ことを一生懸命している人がいるから つい時間を割いて一緒にやってしまうんだなあ 元気で長生きしたいですね


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