ヴァレリー by 清水 徹 その弐

昨夜の続きから

 テレビに出ている心理学者などはこの100年くらいの著名な学者が発表した理論を それぞれの事柄に当てはめているだけで 知識のお披露目だけど 批評家はそうもいかない 自分の能力を言葉で即座に表現するなんて(どこかの受け売り知識人は当てはまらない)テレビに出ている批評家は胃に穴が空くほど大変だろうしコンスタントにコメントが出来るなら 素晴らしい 最近の人では誰だろうか 名前も顔も浮かばない 本に書いて示してくれたのは 大岡昇平 小林秀雄 吉本隆明 浅田彰 柄谷行人・・・大江健三郎「鯨の死滅する日」 「日本の「私」からの手紙」なら 難しいことを判りやすく表現してくれる点では 作家がありがたい 私にも机の上の飾りでなく読む気にさせる 脱線だ

 ポール・ヴァレリー Paul Valery (1871-1945)

 実はこの後長い長い文章を書き込んでいたらインターネットエクスプローラーがダウン ばかばかしくなったので今回は切り上げます(雑文でネットに乗るのも恥ずかしいから消えたのか) 辛い 最近頻繁に再起動するのは何故だろう とりあえずヴァレリーの知性より感性を取り上げたこの本に感謝 教育論や政治論の方が遙かに好きだが 彼の詩もいくつか読んでみて(一人の女性に捧げられた詩集なんか恥ずかしくて無理だが) 蒼く暗く深い絵が浮かんでくる 一編の詩を読むよりいくつか連続で読んだ方が解りやすいなあ

  友愛の森 

  わたしたちは純粋な事柄を考えていた
  道々 肩を並べて歩きながら
  わたしたちは互いの手を握っていた
  言葉少なに 名も知らぬ花に囲まれ

  わたしたちは許嫁同士のように歩いた
  草原の緑の夜を二人きりで
  わたしたちは妖精の果実を分け合った
  気のふれた人たちの友 この月を

  わたしたちはコケの上に倒れて死んだ
  穏やかな暗闇の中に二人だけで
  この親密なささやきの森から遠く離れて

  空高く 輝く月の光の中に
  わたしたちの泣いている姿がある
  おお わたしの愛した沈黙の伴侶よ

 

 最後に ヴァレリーは1945年に亡くなっているから 論評は時代を感じるし古いとも思えるが 今でももちろん通用する 教育について考えることも多い昨今 昔を反省して周りを見て 絶海の孤島に住んでいるかのような日本人「かろうじて幸せだから絶対変革の排他人種」がどうすればよいか 最近までもてはやされたアイルランドの格付けが下がったことを見て デンマークだってどうなるか判らないことを考えたら やっぱり日本は日本なのか 潰れない潰されない程度でぎりぎり上手くやっていくのだろうか 答えは無いのだが 政治家も難しい で教育は大事だ

「精神の政治学」の一節を

 私は、世界の大国の中の幾つかにおいては、数年来その青少年の全部が、本質的に政治的な性格を有する教育を受けているということを、諸君に指摘したい。それらの国々における学校教育の課程や紀律は、「政治第一」ということを原則としているのである。そしてその課程や紀律は青少年の精神を均一に形成するのが目的であって、それらを貫くものは、文化に対する配慮ではなく、非常に明確な政治的、および社会的な意図なのである。故に、学校生活に関する以上はいかなる小さなことも、そこで得る習慣も、遊戯も、読書に提供せられる書物も、全ては学生をある確定した社会組織と、同様に確定した国家的、社会的な企画に適応した人間となるようにするための、手段となっている。そして精神の自由は国家の観念に断然従属せしめられ、その観念は、国によって趣意は異なるにしても、それが画一性を要求するという点においては、何れも全く同じであると言える。「国家がその国家の国民を製造するのである。」

 故にわが国の青年は早晩、彼らとは反対に(フランスの青年が民主主義者になるように教育されるとすれば、その反対にナチスドイツの青年は全体主義者に、中国の青年は共産主義者になるように--編者)、均一に教育され、訓練された、言わば「国家化した」青年の集団を相手とすることとなるだろう。即ち、この種類の近代的な国家は、その教育制度においていかなる不一致をも許さず、教育は幼少の頃から始まって、何時かはそれから脱し得るということがなく、教程終了後は軍隊的な組織によって国民の訓練が続けられ、完成されるのである。・・・

 

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