音の重さ


51I6KI1bJNL._SL500_AA300_.jpg  The Legend of Sleepy John Estes

 まだ大学紛争の余韻も残っていた大学時代 ブルースを聴く事もスタイルのひとつだったか でもコンサートにも一人で行っていたから 人に言いたいのではなく自分の心に「こんな部分もある」と思いたかったのかもしれない 西荻窪には前衛の舞踏家・役者もたくさん住んでいた ちょうど二十歳になる頃はそれなりの思いもあったのかもしれない あまりお金もなかったしね
 
 1976年スリーピー・ジョン・エスティスとハーモニカのハミー・ニクソンと来日して全国を回った彼は1899年生まれだから相当の歳だった(翌年亡くなった)郵便貯金会館の客席真ん中やや左側で(当時人気のあった憂歌団とのジョイント公演)静かに聴いた(みんな静か) その風景と音は今でも鮮明に覚えている 歌い極貧生活を送っていた人間が歌う本物のブルース ぶつかってくる音の重さに前のめりで聴いた 16人兄弟の一人として生まれ 目に障害がある黒人小作人の子供の人生 独特の声で神様って叫んで

 同じ年に見に行ったコンサートは武道館のDoobie BrothersとRainbow だ たぶん 後は思い出せない Status Quoにも行ったかなあ で スリーピー・ジョン・エスティスの映像は少ないので 最初の映像は「私が見たのはこれこれ」って言う感じ


Sleepy John Estes & Hammie Nixon - Careless Love (Live 1976)



Sleepy John Estes - Mailman Blues (1966)




 今日はシンポジュームに出て パネリストとしてまあまあ期待も無い分気楽に話をしたつもり もちろん思いは強くね それより午前中にちょっと心に刺激を受けて 自分を失うはめに いやはや修行が足りんと反省 反省ばかりの半世紀 なんて あまり気分の良い一日でもなかったなあ 明日は楽しいと良いのですが おやすみなさい



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